私は、1994年10月からドイツ航空宇宙件研究所の客員教授として在外研究留学

をしました。もうずいぶん昔の話になりました。わたくし事ですが、その直前に母が

亡くなり、慌ただしく、その49日を済ませて単身旅立ったことを思い出します。私の

留学先は、ドイツ中央部のゲッチンゲン市にありました。ここで、しばらく単身赴任

の生活をしましたが、その研究所の若い方々に大変親切にしていただきました。

 外国で住むと、いろいろな行き違いや要領を得ないことがいくつも起こります。そ

んなときに、周りの方々が助けてくださった親切を忘れることができません。また、

外国人に信用を得るには、その親切に心から感謝し、それにも勝る親切や感謝の

もてなしを行うことであることも学びました。

 私の学校には、若くて優秀なドイツ人がいます。その人の名はクルツさんといい

ます。この方を理解して支援する人が少なく、私はドイツ留学もしていたこともあり、

彼を自然と応援してきました。問題が起きたときには励まし、神経過敏になったとき

は、そうでもないよとなだめ、時には食事に誘って楽しい一時を過ごすこともありま

した。

 あるとき、彼が深刻な顔をして現われました。彼のお父さんが病気で大変だという

のです。病名は何ですかと聞くと、よくわからないが、「ゲーリック病」に似ていると

のことでした。これは、アメリカの野球選手の名前にちなんで命名された病名です

が、身体の筋肉が動かなることを特徴としています。また有名な物理学者のホーキ

ングさんがかかっている病気でもあります。

 ところが、彼のお父さんの場合は、発病から非常に進行が早く、1年もたたずに動

けなくなり、正常なのは頭の働きだけという状態になりました。正確な原因は不明、

医者も打つ手がないといっている状態だったので、彼は非常に悲観していました。

 そこで彼に、マイクロバブルを使ってみてはと提案させていただきました。そしたら

彼は、すぐにお母さんのグレータさんに連絡し、そのお父さんも了解してくれたとい

うことで、すぐに、マイクロバブル発生装置一式を送付することになりました。

 このお父さんに対して、そのケアをしたのが妻であるグレータさんと、その弟さん

でした。途中、マイクロバブルの評判はどうですかと尋ねたところ、お父さん本人が

「汗がよく出る、とても気持ちがよい」ということで、マイクロバブル入浴を希望され

たので、そのグレータさんが、入浴ケアを毎日なされたのでした。

 全身が動きませんので、クレーンで吊ってバスタブまで移動させ、さらにベッドに

戻すという大変な作業をなされました。

 しかし、この間も病状が進行し、最後には風呂にも入れなくなり、亡くなられてしま

いました。まことに残念ですが、マイクロバブルが及ばなかった事例として記録に残

りました。

 そのグレータさんが来日されるというので、食事に誘わせていただきました。とて

も品格の優れた方で、クルツさんを立派に育てた理由がわかりました。食事中に

は、日本のこと、ドイツのこと、さらには、夫であるお父さんのことも話をしました。

 はるばるドイツから来られ、息子夫婦とともに楽しい食事をすることができて、彼

女はとてもうれしそうでした。私としては、ドイツ留学の時にいろいろお世話になっ

た恩返しの一つとさせていただきました。

 このとき、クルツさんからは、大好物のよいドイツワインの手の入れ方があるとい

うので、今度は、それを彼に聞きに行こうと思いました。クルツさんの生家は、有名

なモーゼルワインの生産地から、そう遠くないところだそうで、食事の際には、その

モーゼルワインについても話の花が咲きました。ちなみに、モーゼルとは川の名前

であり、安くて美味しいワインがいくつもあり、よくワイン専門店に、そのワインを買

いに行きました。その前に、友人でワインに詳しい方がいて、次のワインはどれが

いいか、そのワインはどんなワインかをよく聞いてから、その専門店に行きました

ので、そこでは対応した店主がいつも吃驚されていました。

 おまえは、日本人のくせに、やけにワインに詳しいなと驚いたのです。こちらは、

このやり取りが面白く、その指定をしたワインを彼が蔵から持ってきて、どうだと、う

れしそうにいっていたことを思い出します。こちらもにっこり笑って受け取りました。

 さて、グレータさんとは、しっかりと別れの挨拶を交わしました。彼女は、「フィーレ

ン、ダンケ」と、何回も、この言葉を発しながら、感謝されていました。

 とても素敵な食事会でした。

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