約4カ月前の夕方,姉から突然電話がかかってきました.ひどく打ちひしがれた様
子で元気がなく,私に「会いたい」と思って電話をしてきたようでした.途中から,こ
らえなくなったのでしょうか,久しぶりに私の声を聞いたからでしょうか,途中から泣
き出すほどで,いろいろな思いがあったようでした.
私も,「これは尋常ではない」と思って,「近いうちに会いに行くから,そのときに,
また電話をするからね」といって電話をきりました.
ところが,その日の夜の9時頃に,再びその姉から電話がかかってきました.
「9時を過ぎたけど,まだ着かないの?」
夕方は,「今度,行ける日を見つけていくからね」といったにもかかわらず,本人
は,その日に来ると思ったらしく,私の来るのを待っていたというのですから,これ
は,大変な勘違いでしたが,そのことよりも,「それほど私に会いたい」と思っていた
のかという思いのほうが強く過ぎりました.
「今度,時間をつくってかならず行くからね!」と,よく姉を諭して電話を切りまし
た.
それから,しばらくして,母の墓掃除を兼ねて大分県宇佐市に行くことになり,そ
の後に武蔵町に住む姉のところにも行こうということになりました.家内や子供3人
といっしょでしたので,私としてはちょっとした大旅行になりました.
その旅行の顛末は,本ブログの8月の旅日記に書かせていただきましたが,その
ときには,この姉のことは触れずにおきました.大きく成長した子供たちと訪問した
こともあり,姉はとても喜ばれました.そして,私の子供たちに,次のように何度も
語りかけました.
「ヒロさん(私のことを,このようにいいます)はねぇー,おとなしくて,やさしくて,勉
強が好きでした.勉強については,お母さんに厳しくしつけられました.いうことをき
かないと物差しで叩かれました.いつもお母さんが内職の服を縫っているそばで宿
題をしていました」
子供たちにとっては初めて聞く話ばかりですから,いつもより緊張して聞いていた
ようですが,私は黙ってきいていました.そして,そういえば,姉の前では何もいうこ
とがなく,寡黙になるので,おそらく小さいころも,そうだったのだろうと思いました.
この姉は,若いころから病弱で,人生のほとんどを病気と共に過ごされたといって
もよい方でしたので,それだけ苦労も十分なされてきました.今でも病院通いをさ
れ,ヘルパーの方にも世話になっているようでした.
その姉から上記の尋常ではない電話をいただいたのですから,「私に何ができる
のか」を考え続けました.その結果を旅行の前日に,子供たちに伝え,その対応を
協議させていただき,もちろん,その賛同を得ました.
(つづく)
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