本日も、遠くからの訪問者がありました。ここでは、マイクロバブル技術の利用を
めぐって「ちょっとした」討論が繰り広げられました。その議論を今振り返ってみます
と、それ以前に行った議論に似ていることに気づきました。
その以前の議論は、ある大学生が私の研究室を訪問したときになされたものでし
た。その議論の本質は、「マイクロバブルの研究をするのか」、「マイクロバブルの
利用に関する研究を行うのか」にありました。前者は、マイクロバブルの物理化学
的特性や各種機能性を解明しようとすることを目的にしており、後者は、マイクロバ
ブルを技術的に何かを利用することを目的とするものです。
現実に、この2つの方法があるのは当然のことですが、これは、どのような立場か
らのアプローチか、その技術の成熟度などに関係しています。
より具体的な話に入りましょう。
私の場合の事例を基にして考えますと、私は、広島でカキ養殖、北海道でホタテ、
三重県でアコヤガイと、それらの養殖改善に取り組みましたが、それはマイクロバ
ブルを利用した技術といえるものでした。ここで、マイクロバブルの生理活性という
重要な特性を見出したのですが、そのメカニズムの解明には、マイクロバブル自身
の物理化学的特性を解明することが不可欠であり、その両方の解明をおこなうこと
は容易なことではありませんでした。
私の場合は、その技術の創始者であるという責任があり、その両面からのアプ
ローチをおこなうことが当然のこととなりましたが、通常の方が、その両立を行おう
とすると、そこには大変な困難が待ち受けていることになります。
ですから、先日の学生には、「マイクロバブルの研究」に打ち込むか、「マイクロバ
ブルを使って魚の研究をするのか」、そのどちらかを選んで、その一方に専念する
ことを考えてくださいといわざるをえませんでした。
前者の立場は、マイクロバブルの特性をよく理解してから、その利用技術のことも
考えていくというものですが、後者ですと、その視点が必然的に弱められ、結局は、
成果は出てきても、不思議なことが起きている、なぜだろうという段階で留まってし
まうのです。これは、マイクロバブル研究が生成期に留まっていて、その全体像が
なかなか観えるまでに至っていないという事情があるためでいたしかたないことな
のですが、本日も、そのような事情に出くわし、ここには法則的なことがあると思い
ました。
その第一の論点は、マイクロバブルで酸素供給を行う問題でした。たしかに、貧
酸素状態や無酸素状態においてマイクロバブルを与え、効率よく気体吸収させる
ことで溶存酸素濃度を改善させることにおいて、マイクロバブルの有効性が認めら
れますが、しかし、それだけに留まらない重要な特性が存在していることには、な
かなか気づかず,初期の私も,それを突破することができませんでした。
(つづく)
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修士2年目の春でした。同じ釜の飯を食べて苦楽をともにした研究室の仲間がそれぞれの道に旅立ち、新たな仲間が入ってくるまでは大恩師と小生の二人きりの寂しい一カ月となるはずでした。事前に聞かされていなかったのですが、大恩師から「明日、韓国からの留学生が来るのですが、空港まで迎えに行くことができますか?」小生は「はっ?」てな感じでしたが、「大丈夫です。」現在、その時迎えにいった留学生はドクターにも話した「嶺南大学の朴教授」です。
朴さんは日本語に堪能で、相当な努力家であるとともに日本の文化や歴史等々もかなり勉強されており、英語も話せるのですが、小生は「なぜ、英語圏でなく日本なのですが?」の問いかけに、すぐさま返ってきた回答が「当時のプロフェッサー三浦のされている基礎地盤(特に軟弱地盤)の基礎~応用研究(技術)を学ぶために来ました」とのこと。無論「工学博士の称号取得は目標」でした。
何が言いたいかと言いますと、当時のアジア等各国からの留学生は「学ぶということが目的」というより「博士号の取得が目的」というのがほとんどだったように思います。
「目的」と「目標」は違うのですが、朴さんは来日スタート時点でそのことをハッキリと明確に回答できる優秀な方でした。ですから、近い将来、23000人もの学生のいるマンモス大学のトップにもなれる器だということですね。
さて、目的と手段の違いさえも間違うことの多い国語力の乏しい小生も含めた日本人ですが、できる範囲でがんばりたいと願う次第です。ではでは。