高専と技術科学大学との「連携問題」については、今年の2月および夏において、
かなりの議論がなされました。その場で、私が提起したことは、連携を発展させる
ためには、その「主体」と「核」の形成問題でした。前者は、連携を求め、責任を持っ
て進める能力を持った方々の問題であり、その知恵と工夫をいかに発揮するかと
いう課題があります。また、後者においては、それを可能とする「技術」を「オープン
化」するという問題があります。この技術においては、「新技術」もあり、「鍵となる技
術(キー・テクノロジー)」でもよいのですが、それが個別の事例に留まることなく、共
同が可能な課題を広く有したものであることが不可欠です。そして、最も好ましいの
は、それが、「ブレイクスルー技術」であることです。
高専において、そして高専と技術科学大学においても、この「主体と核」の形成に
おいて不十分さがあり、それが、連携といっても、年1回程度の会合を行うという、
いわば、交流程度の段階に留まっていたことから、そこから持続的発展を得るには
至りませんでした。
主体の問題としては,従来の共同や連携の問題を乗り越えることを可能とする
「知恵と工夫」が必要です.これは,ある意味で,共同や連携を求める側が身につ
けるものであり,それがあって初めて,その発展のための基盤形成が可能となりま
す.
そこで,高専や大学の教員の場合には,この主体形成において何が求められる
のか,「その知恵と工夫」について考察することにしましょう.
この場合,個々の教員の問題は,非常に複雑ですので,ここでは紙数の関係で
詳しくは述べませんが,研究者としては,もう一つの「社会貢献」,「地域貢献」とい
う軸足をしっかり持って,そこに自分の基盤形成を行うことが重要です.
その際に,次の2つのパターンがあります.
①自分の個別の研究を通じて成果を社会に普及する.
②社会に現存する問題を解決することによって.その成果を普及する.
この場合,①を通じて,②を実現しようとする場合もあったことから,②の問題が
厳密に追及されてこなかった側面もあります.結果的に,社会や企業の中に飛び
込んで,共に汗水流して問題解決や技術開発を発展させる研究者が少なくなりまし
た.北海道で有名な大学の工学部の教員がいっていましたが,「今や約7割が,コ
ンピュータのみで仕事をしている.実験も,調査もしなくなった」,なのだそうです.
つまり,研究者側が,先端化,個別化,非社会化しすぎて,社会の総合的な問題
について,なかなか有効な対応ができなくなってしまったのです.
その結果として,「連携」も難しくなり,そこに「知恵と工夫」がより必要になってき
ました.
(つづく)
コメント
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ここ、15年くらいで、「産」も「学」も何か変わりましたね。基本を忘れずやりたいものです。ではでは。
コメント,ありがとうございます.マイクロバブルの研究をする前は,現場だけでなく,実験室においても研究することがあると思っていました.しかし,それは現場のためにある,社会のためにあることを希薄にすることでした.特許でいう「社会的有用性」ですが,それが薄弱だと,科学的論理の中に埋没して,結局は,そこから抜け出せなくなり,その論理性さえ薄弱になってしまいます.その視点からみると,そのような学者が散在しているように思われます.そのような方には,社会的経済的価値を新たに創造することは大変困難であると思っています.