本旅日記も600回を記録することになりました.決して短くはない道のりでしたが,おかげで,いろいろな方々と出会い,たくさんの「マイクロバブル経験」をさせていただき,「マイクロバブル仲間」も増えてきました.
この場を借りて,それらのみなさまのご支援,ご協力を厚く御礼申し上げます.
さて,せっかくの記念号ですから,少し最近の出来事を振り返ってみることにしましょう.
まず,思い出すのは,丁度2年前の12月に名古屋大学で開催された開催された第3回マイクロ・ナノバブル技術シンポジウムを皮切りに話を進めることにしましょう.
これは,第1回を神戸,第2回を東京で開催したのちに開催したシンポジウムであり,主催は,日本混相流学会と日本高専学会であり,3回とも私が実行委員長を務めさせていただきました.
これらのシンポジウムでは,文字通りの「マイクロ・ナノバブル」に関する学問的成果の普及と掘下げが試みられたものでした.
おかげで,この主題に関する社会の関心は高く,いつも会場が満席になり,息つく暇もないほどに,質問が相次ぎ,その結果として討議の時間が少なくなることをいつも経験しました.
また,その間,比較的小規模(50名前後)のセミナーや専門分野に限定したフォーラム,さらには,日本混相流学会年会におけるマイクロ・ナノバブル技術に関する特別セッションなども開催し,その学問的発展や普及に尽力してきました.
しかし,その後の事情もあり,とくに,第3回のシンポジウムの折に,少し体調を崩していたこともあって,これらの活動をしばらく停止することにしました.これを野球に例えれば,攻守ところを替えてみてもよいなと思いました.
土のグランドに立ち,バッターボックス見て,打たれた白球を追う,そして次の打席に備えて考えをめぐらす.次は,どのようにして打ち返すか,攻めのシナリオをどうするかなど,頭のなかでは,新たな思いがぐるぐると回っているのではないでしょうか.
そして,私の場合,「攻守ところを替える」ということ,必然的に,マイクロバブル研究により一層本格的に取り組むことを意味していました.
周知のように,マイクロバブル技術は,その起源となる装置開発を1995年に実現して以来,その普及に努めたことから「燎原の火」のように広がり始め,いまやインターネットの「ヤフー」で,「マイクロバブル」を検索すると170万件を超えるほどになりました.
この普及の成功の鍵は,肝心要の装置を広く提供し,そのマイクロバブル研究や開発を可能にしたことにありました.その結果として,数々の失敗を積み重ねながらも,それらを凌駕する成功がいくつも出現することになりました.
その成功を排水処理の分野で修めた,ある大手企業の担当者が,内々に,あるとき,「先生,気をつけた方がよいですよ.私のところと違って,資本も販売能力もある大手企業が,マイクロバブル技術を丸ごと独占しようとしていますよ」といってきました.
私は,次のように答えました.
「非常に面白い話ですね.大手が本気で考えるようになったということは,マイクロバブル技術も,それなりに本物になったということですね.それはそれで大歓迎ですが,しかし,そのようなことは本当に可能なことなのでしょうか?」
こう尋ねると,彼は,次のように言い返してきました.
「それは,大手が本気になったら,何でもしますよ.それが企業というものですから」
どうやら,この方も企業の方ですので,企業のことを知りつくしているようで,私としては,「それは,それで適切に対応していくしかない」と思って,その議論は,それで留まりました.
しかし,それから,しばらくの時間が経過しましたが,かれの予言は「どこに行ってしまったのだろうか」と思うようになりました.
そして,その顕著な傾向がなかなか見えてこないので,「どうしたのかな?」と思いながら,そのことを私なりに考察してみようと思うようになりました(つづく).
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