ギャグ (gag)とは、話題や行為の最中に挿入する短い言葉や仕草などで、滑稽な効果をもたらすものをいうそうです。

  井上ひさしさんの短編集のなかで、俳優森川信(1912-1972)が「ギャグの神様」と呼ばれていました。

  もともと、森川さんは、最初銀行員だったようで、おまけに、銀行員の仕事をしながら夜はバレー学校で踊りを習っていたというのです。

 聞くところによれば、もともとは、俳優ではなく、バレーのダンサーになりたかったというのですから、志というものは大切です。

 若いころは西に流れて大阪方面で活躍し始めたそうですが、そのころから、その仕草で人を笑わすギャグの才能をメキメキと発揮したようです。

 そのかいあって、戦前には、「新青年座」を率いて、東京は浅草国際劇場において、再び錦を飾り、1ヶ月で20万人の観客を笑殺させたというのですから、これは、「神様」と呼ばれてもおかしくはありません。 

 井上さんは、森川さんの、いわゆる「名作ギャグ」が目の前で演じられて、まるで夢のようだったと述懐されています(井上ひさし『ふふふ』76p、講談社文庫)。

 とくに、昔バレーを習ったこともある森川さんの身のこなしには目を見張ったそうで、若い時には何でもしておくものですね。 

 若き井上ひさしさんは、ノートを持って、この絶頂期の森川信さんのギャグをすべて書きうつして勉強したというのですから、森川さんは、井上さんの先生でもあったということになります。

 その後も、井上さんの森川信さんへの観察は継続され、渥美清さん主演の『男はつらいよ』にでてくる「おいちゃん」にも及びます。

 ここでも、井上さんの観察眼は鋭く、俳優森川信が間の取り方を工夫して演じていることを見抜きます。

 さすがプロの視点といいましょうか、さすが観るところがちがいますね。

 そこで、私も、ほんとにそうなのかを、『男はつらいよ』の第1作を何度も見直すことで、それを確かめてみました。

 「間」とは、微妙に時間をずらして演じることだそうですが、実際の映像を見ると、それがどこにあるのか、最初は、それをよく理解することができませんでした。

 それも、そのはず、「間」とは、相手、つまり、車寅次郎との関係において実現されるのですから、おいちゃんだけをいくら観察しても、その間の基本が察知できるはずがありません。

 何度も見直した後に、それにようやく気付き、改めて昨夜遅く、寅次郎とおいちゃんが双方で演じるシーンを見直しました。

 そしたら、この二人の間がぴったり合っているではないですか。「微妙なずれ」というよりも、私には、見事なタイミングという理解の方がよいのではないかと思いました。

 いくつかのシーンを紹介しましょう。

 最初は、妹の桜(さくら)の見合いをダメにしたことを寅次郎に詰問するシーンです。しまいには、この二人がけんかをして、おいちゃんは寅の頭を殴ります。

 ここで、寅さんが、「おやじのコブシはもっと痛かった」と、みごとなセリフをいいます。おいちゃんは、手加減をして殴っていたのでした。

 しかも、顔を殴らず、同じ個所を二度殴ることもしませんでした。 

 そして、しまいには、情けなくなって、自分で泣いてしまいます。 身体の弱いぜんそく持ちですから、それを弱弱しく演じなければなりません。 

 しかし、一瞬だけ、その往年の身体のさばきがみえたシーンがありました。それは、とめるさくらとおばちゃんを、「とめるな」と振りほどいたシーンでしたが、それで二人が後ろに吹っ飛んでしまいました。

 二番目は、寅さんが、団子屋に再び帰ってきたシーンです。このとき、おいちゃんは、煙草をすおうと、火をつけた瞬間でしたが、そのときの驚いた様子を表すために、その火をつけた姿勢を長い間示し続けます。

 いつまでたっても火を消さないので、寅さんが気になり、その発言の途中に、「早く、その火を消せよ」というセリフをさらりと入れます。

 これこそ、二人の間の絶妙の間の取り方なのですね。さすがだと思いました。 三番目は、例によって寅さんの残酷シーンです。

 寅がそこにはいないと思って、寅の失恋の話を堂々とするのですが、じつは、その主人公の寅が、その後ろの押し入れの中に潜んでいて、その会話を全部聞いていたというシーンです。

 このとき、例の名セリフがでます。 

 「まくら、さくらを取ってくれ、いや、さくら、まくらを取ってくれ!」

 さくらは、押し入れを開けて、まくらを取ろうとして、そのなかに寅がいることを気づき、唖然とします。 

 このときに、そこに寝ていた「おいちゃん」は、身体を反転させて「いたの?」というすっとんきょうな声を上げます。

 この身のこなしが、なんともいえない名演で、後ろ向きでしたが、みごとに、驚いてばつの悪そうな仕草を示していました。

 そして、最後は、「ばかだね、あいつは。どうしようもない、ばかだね」という名セリフを繰り返すタイミング、これもすばらしいものでした。

 数々の年季の入った経験と、天才渥美清演じる寅さんとのかけあいと間、これらの関係において、名優森川信が成り立っていることを初めて理解することができました。 

 こうして見直すと、他の俳優さんよりも、この二人が群を抜いて優れていることもよく認識させていただきました。

 この名わき役があって、主人公がひきたつ、いつも、このような関係を生み出すことができるとよいですね。 

 さすが、「天才」と「ギャグの神様」、一朝一夕ではできないことだと思います。このお二人はいなくなってしまいました。

 これらを引き継ぐのは、いったいどなたたちなのでしょうか?

  今、思うと、このお二人にもマイクロバブルのお風呂に入っていただき、長生きしていただきたかったですね。


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