松島では一句も詠まなかった 松尾芭蕉は、松島を見物した後に、次の文章を遺しています。 「松島は扶桑第一の好風にして、凡そ洞庭・西湖を恥ぢず(中略)其の気色窅然(ようぜん)として、美人の顔を粧う」 このように、芭蕉は、松島が中国の洞庭湖や西湖に劣らない好景
むずかしいことをやさしく
微笑みの哲学(5100回記念)(3)
老いと微笑みの哲学(2) 懸案の論文(第四報)投稿を済ませたことで、やや心の余裕が出てきましたので、滞っていた本執筆に分け入ることにしました。 老いての久しぶりの高専を振り返っての論文執筆の開始、そして、それを持続し、第四報まで重ねてきたこと、それが未だ道
老いの覚悟と生き方(4850回記念)(25)奥の細道(11)
もう一つのカキの話題 本日は、広島と宮城のカキに関するもう一つの話を紹介しましょう。 日本における養殖カキの二大生産地は、広島と宮城です。 なぜ、このように別れたのか? ふしぎに思っていました。 昔から、広島のカキは大阪、宮城のカキは東京と、その主たる消
老いの覚悟と生き方(4850回記念)(24)奥の細道(10)
奇跡のバージンオイスター 広島カキ養殖における1年物の若ガキ(無放卵カキ)の出現という、思いも寄らない現象に出会っていたことから、それを大船渡湾においても再現できるかどうか、すなわち、Mさんが熱望していたバージンオイスターの誕生が可能になるのかに注目してい
老いの覚悟と生き方(4850回記念)(23)奥の細道(9)
鹽竃(しおがま) 芭蕉一行が、鹽竃(塩釜)に到着したのは、5月9日のことでした。 ここは、古くから多くの魚が水揚げされる漁港であり、とくに鮪は有名であり、2021年には、クロマグロとメバチマグロの水揚げ量は日本一を記録しています。 おそらく、芭蕉一行も、このマ
老いの覚悟と生き方(4850回記念)(22)奥の細道(8)
白河の関 芭蕉一行は、江戸深川を出発して約2か月を経て、ここから「みちのく」といわれる白河に辿り着きました。 ここに到着した芭蕉は、ようやく旅心が定まってきたという思いを文に残しています。 白河といえば、最も有名なのが「白河の関」です。 奈良時代から平安
老いの覚悟と生き方(4850回記念)(21)奥の細道(7)
7日目 江戸の深川を出発して7日目、芭蕉の一行は黒羽(栃木県大田原市黒羽)に到着しました。 ここで芭蕉は、弟子の浄法寺桃雪を訪ね、歓待されました。 この桃雪は、師匠の来訪を大いに喜び、日夜語り明かしたそうです。 また、弟の桃翠を紹介すると、かれは毎朝毎晩や
微笑みの哲学(5100回記念)(2)
老いと微笑みの哲学(2) 昨年あたりからでしょうか、読書の量が増えてきて、若かりしころの読書量に近づいているのではないかと思い始めています。 前職場においては、よく出張していて、年間の出張日数が186日であったことを、ご苦労なことに、他人が調べ上げて、それが
迫りくる食糧危機に備えて(5150回記念)(1)
三部作 また、記念シリーズを開始する日がやってきました。 今回で第5150回になりました。 幼いころから、何をやっても長く続けることができなかった私ですが、真にふしぎなことです。 この執筆においては、それが、こんなにも長く続いているのですから、自分でもびっく
老いの覚悟と生き方(4850回記念)(20)奥の細道(6)
裏見の滝へ 日光東照宮を後にした芭蕉と曽良は、約4㎞の道程を徒歩で「裏見ノ滝」へ向かいました。 この滝は、文字通り、裏から滝を見ることができ、そこには不動明王が祀られているそうで、芭蕉らは、これを拝見して修行に打ち込みたかったようです。 また、このように裏
老いの覚悟と生き方(4850回記念)(19)奥の細道(5)
日光へ 深川から日光までの距離は151㎞,東北道を自動車で行けば2時間8分の工程です. 松尾芭蕉らの一行が歩いた距離は,平均で一日30㎞でしたので,ほぼ5日の工程で日光に到着したはずです. 日光といえば,徳川家康が祀られた日光東照宮があります. 芭蕉らが,この日
老いの覚悟と生き方(4850回記念)(18)奥の細道(4)
古池や 松尾芭蕉は、伊賀に生まれ、30歳で上京、当初は日本橋に住んでいたようです。 37歳になったときに、静寂を求めて江戸下町の深川に移住しました。 当時の芭蕉が棲んでいた住居は残っていないようですが、ここで芭蕉は、あの有名な句を詠んでいます。 古池や 蛙と
老いの覚悟と生き方(4850回記念)(17)奥の細道(3)
『芭蕉の杖跡』 森村芭蕉のDVD物語と並行して、その解説本である『芭蕉の杖跡』を同時に読んでいくことにしました。 この冒頭に、75歳にして、奥の細道の全行程を旅するという提案を受託した理由が詳しく紹介されています。 かれは、学生時代から旅と登山が好きで、時間が
老いの覚悟と生き方(4850回記念)(16)奥の細道(2)
「森村誠一 謎の奥の細道をたどる」 森村誠一さんは、この「奥の細道」に旅立つ際に、芭蕉への想いを次のように語られています。 その第一は、芭蕉の「句塊」に関することでした。 芭蕉が奥の細道の旅に出発したのは、元禄2年(1689年)3月27日でした。 時の徳川幕府
老いの覚悟と生き方(4850回記念)(15)奥の細道(1)
『老いの正体』読了 『老いの覚悟』、『老いの意味』、『老いの正体』という森村誠一さんの一連の「老いシリーズ」を読み終えることができました。 人生100年時代を迎え、私も、その後編における後期高齢者の仲間入りを直前に控えて、これらの一連の老いに関する著作の内容