追悼・久松俊一先生(22) 前記事の続きで、高専における独創的長所に関する続きを考察していきましょう。 62年余の高専史を振り返って確実にいえることは、その高専を真摯に担ってきた人々によって高専教育が発展させられてきたことです。 この高専を担う人々とは
ゆかいに
創造的突出と自己革新(CASEⅠ:高専)(4550回記念)(39)久松俊一(21)
追悼・久松俊一先生(21) 前記事の続きです。 62年余の高専史を振り返って確実にいえることは、その高専を真摯に担ってきた人々によって高専教育が発展させられてきたことです。 この高専を担う人々とは、高専を構成する教職員と高専生です。高専を担った校長問題
須らく雫の石を穿つ如く(12)第四編の執筆を終えて(2)
道半ばの「折り返し」 前記事において言及したように、一連の論文化作業が、第五報目に入ってきました。 また、下記の投稿論文のうち、第二報と第三報の投稿論文の査読がなされ、掲載可能となりましたので、その修正を行って、その再投稿を済ませたところです。 現在は、
創造的突出と自己革新(CASEⅠ:高専)(4550回記念)(38)久松俊一(20)
追悼・久松俊一先生(20) 久松先生、いよいよ、このシリーズも最後の記事を迎えました。 本記事のテーマは、『私たちの高専改革プラン』における第三提言の「高専大学構想」について考察しましょう。 提言3「高専大学構想」 その「改革プラン」には、次のよ
「渡辺崋山」考(4950回記念)(18)崋山と長英(15)
「糸巻の聖母」 二宮敬作に連れられて路地に入ったところで、渡辺崋山は、小さな絵を見せられました。 それは、宗城公が密かに手配してくださった絵画「糸巻の聖母」の模写でした。 模写といっても、それはレオナルド・ダ・ヴィンチ工房の製作によるもので、イエス・キ
創造的突出と自己革新(CASEⅠ:高専)(4550回記念)(37)久松俊一(19)
追悼・久松俊一先生(19) いよいよ、最後の話題になりました。 今回は、『私たちの高専改革プラン』における第三提言のなかの「『高専大学』構想」について述べておきましょう。 追悼文の最後の節を再録しておきましょう。 最後に,上述の『改
創造的突出と自己革新(CASEⅠ:高専)(4550回記念)(36)久松俊一(18)
追悼・久松俊一先生(18) 今回は、『私たちの高専改革プラン』における第二提言のなかの「日本高専ネットワーク」について少し言及しておきましょう。 このことについても、久松先生とよく議論したテーマでした。 「高専が地域に根ざしてさまざまな協力共同
創造的突出と自己革新(CASEⅠ:高専)1(4550回記念)(35)久松俊一(17)
追悼・久松俊一先生(17) 『私たちの高専改革プラン』における第二提言を前記事において紹介しました。 それを再記しておきましょう。 「高専が地域に根ざしてさまざまな協力共同を行なうことは、単なる地域貢献に留まらず、やがてはそれが高専教育の充実・
須らく雫の石を穿つ如く(11)第四編の執筆を終えて(1)
道半ばに到達か 昨夜夜遅く、懸案の論文の第四報の最終推敲を終え、無事、学会への投稿を済ませました。 前回の第三報の投稿日は、5月30日でした。 それから約1週間は休息していましたので、第四報の本格的な執筆は、実質約2週間だったようです。 徐々に執筆を重ねてい
創造的突出と自己革新(CASEⅠ:高専)(4550回記念)(34)久松俊一(16)
追悼・久松俊一先生(16) 前記事からの続きです。 いよいよ、この連載も終わりに近づいてきましたね。 想えば、この半年間、どういうわけか、高専に関する論文化の作業に没頭してきました。 お世話になった恩返し、あるいは、36年間の仕事の総まとめ、さらに
創造的突出と自己革新(CASEⅠ:高専)(4550回記念)(33)久松俊一(15)
追悼・久松俊一先生(15) 前記事からの続きです。 以下は、久松俊一先生の追悼文の最後の節です(青字の部分)。 第二は,先生が学生から「ペリー先生」と呼ばれていたことでした.なぜ,そのように呼ばれていたのかを尋ねると,ペリーの黒船のことを1年間ずっ
須らく雫の石を穿つ如く(10)第三篇までの執筆を終えて(2)
実践的技術教育の限界 高専は、創立以来、実践的技術者を育てることを教育目標としてかかげ、それが今日に至っています。 しかし、その62年間において、実践的技術教育に関して、本質的な発展はほとんどありませんでした。 そうなってしまった原因は、どこにあったのでし
創造的突出と自己革新(CASEⅠ:高専)(4550回記念)(32)久松俊一(14)
追悼・久松俊一先生(14) 前記事からの続きです。 以下は、久松俊一先生の追悼文の最後の節です(青字の部分)。 ようやく、ここまでたどり着くことができました。 じつは、この追悼文の執筆を日本高専学会のY会長から依頼されたおり、当初の800字という文書
創造的突出と自己革新(CASEⅠ:高専)(4550回記念)(31)久松俊一(13)
追悼・久松俊一先生(13) 前記事からの続きです。 以下は、久松俊一先生の追悼文の続きです。 (3)論文審査委員会 先生には,副会長の後に,新設の論文審査委員会の責任者になっていただきました.この新設のきっかけは,学会誌編集に関わるトラブルが
創造性と技術をつなぐ(5200回記念)(1)
創造力の開発に関する研究 いつのまにか、本記事の執筆回数が5202回を終えていました。 「想えば遠くへ来たもんだ」という歌詞が浮かんできますが、この歌を作った武田鉄矢さんは、映画「幸せの黄色いハンカチ」に登場して、何度も山田洋次監督にやり直しをさせら