マイクロバブル博士の「マイクロバブル旅日記」

本「旅日記」で、マイクロバブルの科学と技術に関する難しい情報をやさしく解説し、深く考えることによってマイクロバブルの物語をよりおもしろくします。また、それをゆかいに展開させていきます。これが、あたかも燎原の火のように、それこそ国境を超えて、どこまでも広がり、国民生活と産業に深く分け入ることで、マイクロバブル社会が形成されることをめざします。

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旅行

 沖縄6日目、本日は大分に帰る日です。 早朝、5時半に起床、手早く旅支度を済ませて6時10分に宿舎を出ました。 早朝のせいか、道路は空いていてスイスイと那覇空港付近のレンタカー事務所に予定よりも早く到着しました。 「少し早く着いたので、朝飯を買いに行きましょう
『真夏の沖縄(8)』の画像

 沖縄5日目、ここは旧盆の文化が残っており、盆入りの日は「ウンケイ」と呼ばれていて、親戚一同のみなさんが集まって食事をなされます。 また、この時の食事のメニューは、「ジュウシー」と呼ばれる混ぜご飯と汁物が定番とされています。 この「お参り」には必ず御供え
『真夏の沖縄(7)』の画像

 今回の沖縄訪問におけるもう一つの目的は、古き友人で、親交していたTK氏の「ご霊前」で親しく語り合うことでした。 去る5月に訃報に接したときには、それがにわかに信じ難く、残念でたまりませんでした。 かれと知り合ったのは、今から45年前、私が琉球大学に赴任し
『真夏の沖縄(6)TK氏追悼』の画像

 「これは、小さくない可能性がでてきた。ひょっとしたら、沖縄の農業のあり方を変えていく、よいきっかけになるかもしれない」 栽培が始まったばかりの出来立ての植物工場を後に、近くのホテルでアイスコーヒーを飲みながら、このような思いが湧いていました。 「あの植
『真夏の沖縄(5)』の画像

 昨夜の食事の際に紹介された読谷村の「金月そば」を早速食べに行くことになりました。 紹介者のHさんは大変な食通であり、沖縄中の「沖縄そば」を食べ歩いたそうです。 私も「沖縄そば」には目が無い方で、旨い「そば屋がある」と聞くと、すぐに訪ねることを常にしていま
『真夏の沖縄(4)』の画像

 沖縄3日目の朝、昨日と同じく6時に起床。 今朝は、身体の節々が筋肉痛で、朝の散歩も取りやめました。 「これも、ここちよい疲れ、それにしても昨日は、よく働いた」 12時前に、待っていた部材が到着、そそくさに昼食を済ませてから、沖縄北部へ向かって出発、30分で待
『真夏の沖縄(3)』の画像

 沖縄2日目の朝、6時に起きて宿泊所の近くの公園の周囲をカメラを下げて散歩しました。 「どうやら、昨日までの溜まった疲労がだいぶ抜けたようだ。眠かった頭がかなりすっきりし、身体もやや軽くなってきた」 気温はまだ低く、東の太陽は厚い雲に覆われていて、汗もかか
『真夏の沖縄(2)』の画像

 昼ご飯を済ませて、再び、病院施設Nに向かいました。 「少し、途中で立ち寄る時間がある?」 「ありません」 つれない返事でした。 「そう?『もち吉』に寄りたいのだけど・・・」 こういうと運転手の態度が、がらりと変わりました。 そこに好物のものがあったからで
『中津市にて(2)』の画像

 本日は、雪景色の中、早朝から中津に出かけました。 途中、南側に雪化粧した鶴見岳、由布岳の遠望がすばらしく、しばし車窓から見惚れていました。 聞くところによれば、全国的に寒波が襲来しいるようで、それが日本の地中海、国東半島にも及んでいました。 車は、速水
『中津市にて(1)』の画像

 相生での46mの大窯による実験においては、次の相反する結果が出ました。 ①完全に冷え切らないうちに、窯を開けたために、大甕の半分以上がひび割れてしまった。 ②思いもよらない「白備前」が出現した。 この②の出来事は、森先生にとって、①の失敗を十分に補うことが
『「メッセージ(RSK地域スペシャル)」を観て(6)』の画像

 若き備前焼き作家の森陶岳氏が、「古備前」の伝統の大壁の前で立ちつくして行き詰ったのが30歳代の半ばのことでした。 ーーー この壁をどう乗り越えていけばよいのか? 悩んだ末に、彼が到達したのは、とにかく古備前と同じサイズの大窯を建設して、それで試すしかない
『「メッセージ(RSK地域スペシャル)」を観て(5)』の画像

 若き備前焼き前衛作家の森陶岳の前に立ちはだかったのが、「古備前」の大きな壁でした。 備前焼きは、明治以降になってから、それまでの集団による窯焼きから、個人による小さな窯焼きへと変化していきます。 それは、織田信長や千利休、そして岡山の池田藩という後ろ盾
『「メッセージ(RSK地域スペシャル)」を観て(4)』の画像

 ここで、放送は、森先生の経歴を辿って、若かりし頃に迫っていきます。 なぜ、巨大窯に挑むようになったのか、そのルーツを明らかにするためです。 森先生は、備前焼六姓(木村、金重、森、寺見、大饗、頓宮)の窯元の家に生まれました。 この六姓窯元とは、江戸時代に
『「メッセージ(RSK地域スペシャル)」を観て(3)』の画像

 寒風新大窯づくりの工事が実際にはじまったのは2000年、そこから足かけ6年の歳月を経て、この大窯が完成しました。 この窯の建設法は、「半地下式」と呼ばれ、左右を土手で囲み、文字通り窯の下半分は、地下に置くというものでした。 また、このアーチ構造は、3重の煉瓦
『「メッセージ(RSK地域スペシャル)」を観て(2)』の画像

 先日、友人のMさんから山陽放送テレビ(RSK、岡山)の録画ビデオが送られてきました。 そのタイトルは、「世界最大の窯で備前焼は・・・~森陶岳古備前に挑む~」でした。 この「寒風新大窯」に挑んだ作家は、森陶岳先生(本名は才三)、このシリーズでは「X先生」として
『「メッセージ(RSK地域スペシャル)」を観て(1)』の画像

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