「万華鏡」は、紫陽花の一種です。 どうして、このような名前がついたのであろうかと思いながら4年余が過ぎました。 そして、その鉢植えの花も、今の住処に馴染んできたのでしょうか。 今年は、もう終わりかと思っていたら、さにあらず、そのみごとな万華ぶりに驚いてい
水環境
魅せられて(4)
今年は、いつになく我が家の中庭のゴーヤが元気に育っています。 比較的に余裕を持って、多くの種から苗を多く育てたのがよかった」のでしょうか。 加えて苗を植える時期もよかったのでしょう。 また、結果的にヘチマよりも先行して栽培を開始したことで、ヘチマに成育
魅せられて(3)
「万華鏡」は、白から薄紫に変化し、そして最後には、再び、その薄紫がやや白くなります。 この微妙な変化を遂げることに因んで、この命名がなされたのだと思います。 それでは、その後期の様子を示すことにしましょう。後期の万華鏡の花 勢いがなくなっても、その優雅
魅せられて(2)
「万華鏡」という紫陽花の色は、真綿色の白から、薄紫に変化していきます。 同じ花が、徐々に変化していくことから、それに「万華鏡」という命名がなされたのかもしれません。 おそらく、花弁のなかの成分が変化し、新たな色素成分が生まれてくることによって、この変化
魅せられて(1)
今年も「万華鏡」という珍しい紫陽花の花が咲きました。 たしか3年前にいただいた鉢植えの花でした。以来、この梅雨時になると、美しい花を咲かせています。 「万華鏡」とはよくいったもので、蕾が膨らんで花が咲き、その色が時間の経過と共に徐々に変化していくのです。
水の話(2)下松市米川の地下水
その後、Tさんが計画されていた里山レストランの建築設計については、相互に意見を交換し合い、その詳細を詰めさせていただきました。その際、いくつかの課題がありましたので、それを解決することで、いかに人が訪れやすい里山レストランにするか、次のように、この考究をさ
水の話(1)・走水観音湧水
現代人にとって水の問題は、非常に重要になっています。また、水に関心を持たれる方々も少なくなく、ペットボトルに入れられた水が巷に溢れるようになりました。「乾いた喉を、おいしい水を飲んで潤したい」都会の雑踏の中で働くサラリーマンにとって、冷たいは、一時の清涼
師走2012(5)・竹田の水(1)
あの「荒城の月」で有名な大分県竹田市の湧水が届きました。 かねてより、この水が美味しいといわれていましたので、それを味わってみたいと思っていました。 大分県には、すばらしい湧水群がいくつもあり、この地域資源を、いかに有効に、可能であれば最高度に活かすか
炎天下で
昨日は、急に午後からダム貯水池に行くことになりました。昨年はよく通った貯水池です。 マイクロバブル発生装置の稼働状況や貯水池の観察、それから、周辺機器の整備のためでしたが、久しぶりに身体を動かしました。 もう真夏の天気ですが、炎天下での強い日射しのせい
北の地からの訪問者(1)
先日、遠い北の地から新幹線を乗り継いで、ある若い方の訪問を受けました。朝出ても、こちらに着いたのは夕方遅くでした。 さっそく、訪問の理由を詳しく聞かせていただきましたが、この夏から秋にかけて、地元のホタテ漁が壊滅的打撃を受けたとのことでした。 昨年の夏
地球環境問題
昨日は、日曜日でしたが、久しぶりに一日中仕事をさせていただきました。その前の日の土曜日は、これまた一日中、ある課題を考えながら、調べものをしていました。 こういうときにインターネット情報は非常に便利であり、その基礎情報や必要情報がある程度集まりますので助
今日は朝から(2)
田所雄介博士が、日本沈没を予測する際に、科学者にとって大切なことは何かと尋ねられ、それは、「鋭く、大きな直観である」と答えます。 一方で、南アフリカのマンデラ大統領は、国民持てる力を最高度に引き出すことが可能な「ひらめき」の重要性を語ります。 昨日のブ
ダムの湖畔で
久しぶりに、早朝から出かけ、ダム貯水池の湖畔で作業をしました。あいにく、木陰がなく、炎天下の作業となりました。 しかし、真夏でもタム湖畔には、時折涼しい風が吹いてきて、熱い中の作業を和らげてくれることもありました。 この朝からの作業で、おいしい昼ごはん
「水の浄化」考(2)
長年の政権が瓦解し、新たな政権のもとで、いろいろなことが試されています。この中で新たな変化が生まれていますが、そうでないものもいくつかあります。 その一つが公共事業の削減です。新たな政権を迎えて、この予算はさらに削減され、それが地方における投票の結果
「水の浄化」考(1)
1時間に100mm以上の豪雨が各地に降り、水害、土砂災害を引き起こしています。前者においては、氾濫の危険がある箇所が2000以上、後者においては、50万か所もあるというのですから、災害列島日本の現状は、とても楽観できるものではありません。 こうして、毎年のように災