マイクロバブル博士の「マイクロバブル旅日記」

本「旅日記」で、マイクロバブルの科学と技術に関する難しい情報をやさしく解説し、深く考えることによってマイクロバブルの物語をよりおもしろくします。また、それをゆかいに展開させていきます。これが、あたかも燎原の火のように、それこそ国境を超えて、どこまでも広がり、国民生活と産業に深く分け入ることで、マイクロバブル社会が形成されることをめざします。

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ひらめき

私の田所博士研究も、最後の方になってきました。 おかげで、「科学者は何をすべきか」、また、「その資質として何を持つべきか」、それらが、この歳にしてですが、ようやくはっきりとわかったような気がしてきました。 さて、小説の作者は、田所博士をして、マスコミを

本日は、遠くからお客さんを迎えることになっていましたので、昨夜から、その準備に夢中になっていました。 「論よりは証拠」といいます。実物で、マイクロバブルの凄さを味わっていただくのが、なによりも説得力があることです。 そこで、昨夜はあわてて準備をしました

マンデラ大統領の発した第4の「ひらめき」は、それとなく進行、実現されていました。 南アフリカのラグビーナショナルチームであるスプリングボッカスは、そのワールドカップの初戦でオーストラリアチームをみごとに撃破します。 そのお祝いがなされ、翌日は軽い練習が

田所博士の「日本沈没」は、彼の予測の通りに進行していきます。彼を中心にして、日本沈没の予測を行う「D‐1」計画が、当時の山本首相のもとで秘密裏に開始されました。 しかし、政府の中には、それを疑い、いぶかしる者がすくなくありません。そのおり、関東大震災をはる

K先生との面会、手紙のやり取りを通じて、私は、先生のスケールの大きさと人格的魅力に小さくない感銘を受けました。 それは、先生が最も力を入れたと仰られていた「報告書」を、それこそむさぶるように何度も読ませていただき、赤字を入れて、手垢がつくほどのものとなり

37年前の私には、「鋭く、大きな直観」を鍛える修行と、それによる洗練化を実践するという経験に乏しかったので、その理解も獲得も簡単には実現できませんでした。 今思えば、大変惜しいチャンスを逃したことになったといえますが、こればっかりはどうしようもありません。

先日、ヤフーで「マイクロバブル」という用語で検索しましたら、なんと、その総件数が370万件に達していました。これは、この技術がいよいよ日本社会に定着し始めた証拠といえます。 約10年前には、その数が数100件、5年前には2万件程度でしたので、「ウナギ登り」とは、こ

ある若手教員と話をしてみて、かつての自分を思い出しました。博士論文を書き上げて、あるいは、ある程度の仕事を成し遂げて、さあ独り立ちという段階で直面する問題があります。 その論文に関連する研究テーマを発展させる、これが基本であり、誰しも、この道を歩もうとし

小松左京作、小説『日本沈没』および映画『日本沈没』に登場する「田所雄介博士」について、すこし詳しく考察することにしました。 彼の役割は、その「日本沈没」を予知し、それを政府関係者に納得させることでした。 しかし、その日本沈没という現象が途方もなく大きな

マンデラ大統領の「ひらめき」の第一は、ナショナルラグビーチームであるスプリング・ボッカスの主将、フランソア・ピナールをお茶に招待し、持てる力を最大限に発揮するためにどうしたらよいかを考えていただくことでした。 その第二は、ラグビー協会会長への直接の「依頼

  マンデラ大統領は、ラグビーチームのキャプテンとしての哲学や資質について、その本質的問いかけをしました。 そして、チームの一人一人を最高にやる気を出させるにはどうすればよいか、それについてもズバリ質問したので、ピナールは戸惑うばかりでした。 ますます

南アフリカラグビーチームであるスプリングボックスの主将フランソア・ピナールは、マンデラ大統領から「お茶」に招待されます。 大統領執務室に緊張して入ってきたピナールに対して、大統領は丁寧な気持ちでもてなします。 「ラグビーは、イギリスから受け継いだ重要な

娘から、「invictus(負けざる者たち,ラテン語)」の映画を勧められました。この映画は、南アフリカで初めて黒人大統領として選出されたマンデラ大統領の物語です。 彼は、約30年間牢獄に押し込められ、その間も不屈の(invictus)闘争を続け、最後には、民主的な選挙によ

映画『日本沈没』DVDの第二作を拝見させていただきました。第一作を意識されたせいでしょうか、随分、そのあら筋が変わっていました。 一言では、第一作が原作に忠実に描かれていたのに対し、第二作は、日本沈没をいかに阻止するかに焦点があてられていました。 田所

ある若手教員と話をする機会がありました。 「最近はいかがですか、前の方がよく観えていますか?」 「いやぁー、なかなか観えずに困っています。しかも、徐々に観えなくなってしまっていますので、これでよいのかなといつも思っています」 この場合、観える、観えない

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