マイクロバブル博士の「マイクロバブル旅日記」

本「旅日記」で、マイクロバブルの科学と技術に関する難しい情報をやさしく解説し、深く考えることによってマイクロバブルの物語をよりおもしろくします。また、それをゆかいに展開させていきます。これが、あたかも燎原の火のように、それこそ国境を超えて、どこまでも広がり、国民生活と産業に深く分け入ることで、マイクロバブル社会が形成されることをめざします。

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ひらめき

 K病院の大ホールには、理事長、院長、副院長のみなさんをはじめとして100名近くのスタッフが参加されていました。 この病院は、常に研究開発に熱心で、このような講演会を年中開催されていますので、私も、丁寧なスライドづくりと講演発表に尽力することになりました。 
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 昨日は、朝の2時起き、大分県中津市にあるK病院において講演を行うための準備を始めました。 これは、昨年のマイクロ・ナノバブル学会での講演を、再度、同病院においても行っていただきたいという要請を受けたことから、相棒のYOとともに揃って講演を行うことになりまし
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もう一度、孟子の言葉を考えることにしましょう。 「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」 この言葉は、戦争をするときによく引用されてきました。いくら、天候や運があっても、地の利がなくては勝てない、そして地の利があっても、人の和がなければ、結局

すでに、新幹線は新大阪、京都を過ぎて関ヶ原を通過していた。岡山付近では、あれほど澄み切った秋空だったにもかかわらず、ここまで来ると車窓からの景色は一転し、どんよりした雲で覆われる天候に変わっていた。 いつものことであるが、この辺りから東京に着くまでが長い

坂本龍馬の地では何を話そうか、それを思案していたら、今回の高知元気プロジェクトの事務局から『高知県産業振興計画』というパンフレットが届けられました。 早速、これを見させていただき、ここに今の高知県の状況が非常にわかりやすく示されていることを知りました。

いよいよ明日は、第3回の「フォーラム」が開催されます。私も講演を行いますが、例によって、いまだその準備ができていません。 いつもの悪い癖で、直前にならないと準備をしないので、今夜はどうなることやらと思っています。 さて、みなさんのご努力で、フォーラム会

三谷幸喜作『笑いの大学』という映画を見させていただきました。さすが、現代人の心を捉える匠の劇作家らしい、みごとな作品でした。 この劇は、戦時中の「検閲官」と「笑いの大学」という演劇館に雇われた劇作家の二人のやりとりを中心した物語です。 この検閲官は、自

マイクロバブル技術に関するパネル討論会における話題提供者の2番手は、高知高専の秦隆志先生です。 先生のご専門は、生物工学であり、微生物を操ることを得意とされています。先生のマイクロバブルと微生物との関係をめぐる研究は長く、これにおいては最先端の成果を修め

タイトルは、昨日と同じ「来週の土曜日」にしましたが、本日からは今週になりますので、それこそ「今週の土曜日」に開催されるフォーラムの紹介の続きです。 新原先生の講演を前にして、それこそ前座の企画として、マイクロバブルに関するパネル討論会がなされることになり

週末から安静にしてしばらく身体を休めていました。おかげで、喘息の心配は、どうやら遠ざかっていったようです。 しかし、仕事の方は容赦なく降り注いできますので油断しているとすぐに溜まってしまいます。まるで、本ブログと同じですね。 さて、連載中の950回記念シリ

「エウレカ!」 わが身にセレンディピティが舞い降りたときに、このように思わず叫ぶようです。 それは、『セレンディピティと近代医学ー独創、偶然、発見の100年』、モートン・マイヤーズ著、小林力訳、中央公論社のなかで書かれていることです。 これを大変楽しく、

マンデラ大統領が追及したことは、国民の持てる力をいかに最高に引き出すか、という命題でした。 それまでの政権を引き継ぎ、アパルトヘイト(人種差別)を止め、民族の解放の仕事をいかに成し遂げるかを考えたときには、その命題を追求することが一番の方法だったのでした

ボッシュは、いくら考えてもよい考えが浮かばず、途方に暮れていました。 中心人物のボッシュがそうですから、ほかの社員も同じで、その状況をブレイクスルーするようなアイデアを生み出すことはできませんでした。 あるとき、ボッシュは、考えながら街の中を歩き続けて

このところ研究補助金の申請書ばかりを書く日々が続いています。どこの大学でも同じだそうで、研究費を確保しようとすると、自ら、その努力をしなければならない時代がやってきているようです。 これを「競争的資金」とか、「外部資金」とかいうそうですが、それを若い時か

フランスとの国境近くにある南ドイツのカールスルーエ大学にいたハーバーの夢は、ベルリンの国立ウイルヘルムカイザー研究所の教授になることでした。 そして、自らはユダヤ人でありながら、ドイツ帝国に尽くし、それを認めていただくことに心血を注ぎます。 その第一の

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