マイクロバブル博士の「マイクロバブル旅日記」

本「旅日記」で、マイクロバブルの科学と技術に関する難しい情報をやさしく解説し、深く考えることによってマイクロバブルの物語をよりおもしろくします。また、それをゆかいに展開させていきます。これが、あたかも燎原の火のように、それこそ国境を超えて、どこまでも広がり、国民生活と産業に深く分け入ることで、マイクロバブル社会が形成されることをめざします。

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 「私の新東京物語」における友人面談の二人目は、東京で会社を経営されている社長のTさんでした。 かれは、若い頃はアパレル関係の会社で相当な売り上げを得ることで活躍された方でした。 それこそ、ビジネスの隅から隅まで知りつくされており、いわばプロフェッショナル
『私の新東京物語(2300回記念)(3)』の画像

 名画「東京物語」においては、主人公の学者の友人二人との会話のシーンがあります。 東京にやってきて会いたい、旧交を温めたいと思ったようで、その二人との会話がかなり詳しくなされています。 この友人の二人は、花の東京で仕事を成功させようとしたのでしょう。 し
『私の新東京物語(2300回記念)(2)』の画像

 昨日は、朝7時の甲府駅発の高速バスで羽田へ、9時半には第2ターミナルに到着、この間2時間半でしたので思いのほか早く着いて、このバス便もなかなかよいなと思いました。 すぐに搭乗手続きを行ない、運よく10時20分の便が取れたので、お土産品を買う時間もなく、すぐさま
『私の新東京物語(2300回記念)(1)』の画像

 昨日は、朝早く国東を出て、宇佐市四日市にある実家に向かいました。 この辺りは、「東新町」という地名にあるように、ここでの市街地形成が、新町、東新町と東に向かってなされてきたところです。 子供の頃は、新たな建物が道路沿いに並び、その後ろには、すぐ田んぼが
『宇佐市四日市で』の画像

   朝から夜まで、装置組み立ての仕事をしたせいか、朝起きてみると、身体中の筋肉がこわばっていました。 昨夜は、シャワーを浴びる余裕もなく寝てしまいましたので、朝食の前にゆっくりお風呂に入りました。 今回は、携帯用マイクロバブルシャワー装置を持参していませ
『下松の新里山レストラン(5)』の画像

   昨日は、暗くなるまで作業を行いました。なにしろ初めての装置を組み立てるのですから、細かい作業がいくつもありました。 そのため、この装置の組み立てには結構時間がかかりました。 これまでの植物工場における問題点は、莫大な設備投資費に対して、生産する野菜の
『下松の新里山レストラン(4)』の画像

 このところ2週連続で、山口県下松市に出かけることになり、その度に、本ブログ記事の更新ができなくなってしまいました。 その原因は、モバイル用のパソコンの通信においてエラーになってしまっていたからで、これを改善していただいたのですが、今度は、最終段階での記事
『下松の新里山レストラン(3)』の画像

 里山に新築されたレストランとその周囲の巨大なウッドデッキ、ここに分け入ると、なぜ、リラックスができ、そして心身がリフレッシュできるのか、そのことを懸命に考えていました。 しばらくの時間が経過し、その理由が徐々に解ってきました。 その第1は、このレストラ
『下松の新里山レストラン(2)』の画像

 28日の早朝6時過ぎに、自宅を出発して、山口県下松市に向かいました。 大分の国東からは、陸路で中津、小倉を経て、関門海峡を渡っていくルートと、国東半島の突端にある竹田津港からフェリーに乗って、直接徳山港に向かうルートの2つがあります。 前者においては、宇佐
『下松の新里山レストラン(1)』の画像

本日は朝早くから家を出て、大分県中津市のある病院施設に行きました。新たに開発した装置の試運転を行うためでした。本日は、本格的な試験にまでいたりませんでしたが、89歳の女性の被験者は、とても「気持ちがよい」と喜ばれました。これから、本格的な試験開始とともに、
『中津市へ』の画像

昨日は、国東市の隣の豊後高田市めぐりをしました。ここは、蕎麦(そば)がおいしいと聞いていましたので、まず、その「響(ひびき)」という蕎麦屋をめざしました。ここは、高田の中心街からやや外れた高台にある小学校の隣にありました。折から、この小学校では成人式があ
『塩炒り落花生(ピーナッツ)』の画像

本日は、久しぶりに長い一日となりました。 起床は、午前3時。昨夜は、この日のために十分な睡眠をとっていましたので、すんなり起きることができました。 素早く旅行の準備を行い、短時間のマイクロバブル入浴を済ませました。この入浴を行うか否かで、その日の身体の
『瀬戸内市へ』の画像

第2の壁突破(ブレイクスルー)は、「カキの成長」が遂げられていること、そのものでした。その証拠となる最初の写真は、すでに、10月26日付の記事において示されています。念のために、この写真を再度示すことにしましょう。1999年8月6日 カキの半成貝(筆者撮影)この写真
『東京ビッグサイト「危機管理展参加」(13)』の画像

前回(第11回)の記事において指摘した重要なブレイクスルーの第1は、私が、その立派なカキを食べてもよいかと尋ねた折に、みなさんが怪訝な顔をして、「Yes」とは決していわなかったことに関係していました。私は、その日の翌日(1999年8月7日)から、腹痛を起こして七転八
『東京ビッグサイト「危機管理展参加」(12)』の画像

前記事においては、カキの稚貝の段階から卵を孕む(産卵)ようになっていることを指摘し、その問題点を考察しました。じつは、当時の私は、この問題解決の重要性を正確に理解できていませんでした。また、一緒に養殖改善に取り組んだカキ漁師のTさんも、これを解決できるとは
『東京ビッグサイト「危機管理展参加」(10)』の画像

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