マイクロバブル博士の「マイクロバブル旅日記」

本「旅日記」で、マイクロバブルの科学と技術に関する難しい情報をやさしく解説し、深く考えることによってマイクロバブルの物語をよりおもしろくします。また、それをゆかいに展開させていきます。これが、あたかも燎原の火のように、それこそ国境を超えて、どこまでも広がり、国民生活と産業に深く分け入ることで、マイクロバブル社会が形成されることをめざします。

マイクロバブル博士の「マイクロバブル旅日記」 イメージ画像

 昨夜は10時前に帰宅しました。 さすがに、2日間のセミナー、そして瀬戸内市行きとなり、軽い食事をした後に、すぐに就寝しました。 さて、今回のお土産として、岡山で「きびだんご」と「大手門まんじゅう」、小倉で、家族が好きな「通りもん」、さらには、孫のしらたまち
『瀬戸内市へ(2)』の画像

 本日は、朝3時に起床、眠気眼でレポートの準備をし、5時からマイクロバブル入浴、そして6時20分に自宅を出発しました。 JR杵築駅から7時2分発のフェニックスに乗り、小倉駅へ、そこで新幹線に乗り換えて、9時45分に岡山駅に到着しました。 駅には、いつものようにM夫妻が
『瀬戸内市へ』の画像

 甲府から羽田空港行きの高速バスに乗って、途中に軽い渋滞があったものの、約2時間半で終点に着くことができました。 これまでは、特急あずさに乗って甲府から新宿までが90分、そして中央線、モノレールを利用して羽田空港までが約1時間かかり、結局、ほぼ同じ時間で行っ
『羽田空港にて』の画像

 本日は、甲府から国東に帰ります。 早朝、孫たちに見送りをしていただきました。 「今回は、ちっとも遊んでもらえなかったね」 これは、しらたまちゃんの見送りの時の言葉でした。 まことに、この言葉の通りで、昨日の夕食をイオンの食品店フロアでとったときが、唯一

 昨日は、12時過ぎに、K1さんと新宿の南口駅の改札口で待ち合わせました。となりの新南口駅が新たにできていて、また様相が一変していました。 都市は、駅を中心に変わって行くようで、これは都会が有するエネルギーの典型ということができそうですね。 K1さんは、ひとこ

 しばらくの間、ブログの更新ができない状態に陥っていました。  読者のみなさまには大変申し訳ありませんでした。  じつは、昨日まで、ほぼ終日、それこそブログ記事を更新できないほどに、その対応に追われていました。  24日に上京し、現在は甲府に滞在していま

 本日は、雪混じりのなか、午後から中津へ出かけました。 途中、杵築を過ぎたあたりから霧も出てきて、余計に景色が寒々と見えていました。 外気の温度表示パネルには2℃、やはり相当冷えていました。 「今日は、寒い一日になりそうだね!」 こんな会話を交わしながら、
『再び中津へ(3)』の画像

   備前焼き作家森陶岳先生の全長85ⅿの巨大な登り窯です。 今年の1月3日の朝のゴールデンタイムで40分の放送がなされました。 また、1月5日に、すぐ再 放送がありました。 現在は、4Kハイビジョンカメラ撮影による59分番組の編集がなされています。 今度は、すばらし
『岡山へ(「奇跡の白備前」に魅せられて)(3)』の画像

 昨日は、再び中津へ出張していました。 健康改善教室に参加された高齢者のみなさんに、現在開発中の装置を紹介し、その試験に協力していただきました。 この教室の冒頭は、いつもクイズで始まります。 「大人の蛙は『ケロケロ』と鳴くが、子供の蛙は何と鳴きますか?」
『再び中津へ(2)』の画像

   昨 日は、2年前に大分県立美術館で拝見した長谷川等伯の松屏風図以来のすばらしい感動を経験しました。巨大な備前焼のゴマの流れ(森先生は、これを「土が動いた」と表現されています) 森陶岳先生の大釜展(岡山駅前の岡山シティミュージアム4階)、ずらりと奇跡の
『岡山へ(「奇跡の白備前」に魅せられて)(2)』の画像

 昨夜は、早く寝てしまったようで、午前一時過ぎに目が覚めてしまいました。 --- さて、どうしようか? --- このまま起きておこうか? --- そうしよう! 本日は、急遽、岡山行きを決めました。 早朝に杵築駅からフェニックス号に乗って小倉へ、そこからは
『岡山へ(「奇跡の白備前」に魅せられて)(1)』の画像

 一昨日は、中津に出かけることになりました。  老健施設Nで開催されている高齢者のための健康支援教室への協力のためです。 13時過ぎには施設に到着し、さっそく準備をしていると、常連の4人の女性高齢者が待ち構えていて試験に協力してくださいました。  その後、
『再び中津へ』の画像

 小津映画の「東京物語」では、主人公の夫婦が実家の尾道に帰ってから急展開を遂げます。 せっかく育てた子供や親しかった友人たちとのいいようのない断絶、隙間を感じた夫婦に待ち構えていたのは、その妻、子供たちにとっては母親の急逝という思いがけないことが起こって
『私の新東京物(2300回記念)(6)』の画像

菊の花 今回の上京において面談した3人目は、このブログでおなじみのK1さんでした。 かれは、大病を患っていて、わずか1日前の退院でしたが、わざわざ、12月13日の私の学会講演を聞きに来てくださりました。 この講演を終わって、少しの間、言葉を交わしました。しかし、
『私の新東京物語(2300回記念)(5)』の画像

 「長い間、マイクロバブル技術の動き、それから、先生の動きを、見聞きしてきて、私は、マイクロバブル技術で、世の中を変えることができるのは先生しかいないのではないかと思ってきましたし、今も、そう思っています」 「そうですか。そういわれると恐縮しますが、その
『私の新東京物語(2300回記念)(4)』の画像

↑このページのトップヘ