二人の「ダ・ヴィンチ」研究(9)

 高野長英と渡辺崋山のレオナルド・ダ・ヴィンチの研究における重要な発見は、レオナルドには、目標として憧れていた先輩たちがいたことでした。

 しかも、その先輩たちは、イタリアから始まったルネサンスにおいて先導的に活躍した芸術家であり、彫刻師、金細工師、そして建築家を兼ねた多彩な方々だったのです。

 この優れた芸術と工芸、建築の爆発現象をレオナルドは、そのまま受け継ぎ、さらに飛躍的に発展させたのでした。

 その最初の先輩が、ブルネレスキとドナテッロでした。

 前者における最も偉大な業績は、フィレンチェの大聖堂の建築であり、後者においては、さまざまな彫刻物でした。

 しかし、かれらとレオナルドが生きていた時代とは重ならなかったことから、レオナルドが学んだのは、その遺産からのことでした。

 その次にレオナルドに小さくない影響を与えたのがアルベルティでした。

 アルベルティとレオナルドとは48歳の年齢差がありましたが、レオナルドにとっては、同時代の生きた先輩として、その業績や論文を学ぶことができたことから、そのすべてが、あこがれの的だったのではないでしょうか。

 前記事においては、レオナルドがアルベルティを生きた見本として、そして憧れの的として、自分もかれのように生きたいと願っていたことが語られました。

 そして、もう一人、レオナルドに直接影響を与えたのが、ヴェロッキオ工房を主宰したヴェロッキオ自身でした。

 渡辺崋山と高野長英の議論は、このヴェロッキオについても展開されることになりました。

ヴェロッキオ

 「崋山さん、ブルネレスキ、とその後継者のアルベルティに続いて、レオナルドに重要な影響を与えた人物がいます

 「それは、どなたですか? レオナルドの父親ではないですね」

 「父親のピエロは、公証人としての仕事に忙しく、非摘出子のレオナルドの教育には、ほとんど関心がなかったようです。

 しかし、正妻が亡くなった後においても、子づくりには熱心だったようで合計で9人の子供をもつようになりました。

 そんななかで、レオナルドに対して、ほぼ唯一といってよい父親らしいことをしたのが、公証人としての仕事の関係で知り合いになっていたヴェロッキオに頼んで、レオナルドを、かれの工房に弟子入りさせたことでした

 「そうですね。レオナルドが盾に描いた絵の凄さを見て、かれには絵の才能があると見抜いたことが、ヴェロッキオ工房に弟子入りさせた直接の動機になったということでしたね。

 それはレオナルドが何歳の時でしたか?」

 「14歳です。当時のフィレンチェの商工組合が14歳から徒弟修業を始めていて、その修行期間は6年であったそうです。

 レオナルドの父親のピエロは、仕事先の知人で会ったヴェロッキオに、レオナルドの絵画や素描を見せて弟子入りを頼んだそうですが、ヴェロッキオは、その才能に驚いて、すぐに弟子入りを認めたそうです。

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ヴェロッキオの自画像

 わが国では、商人のところに実質的な奴婢として丁稚が10歳前後で入っていましたが、ヴェロッキオ工房では、一緒にヴェロッキオの仕事を一緒に行うことに、その特徴がありました

 「なるほど、ヴェロッキオさんは、自分の弟子たちと一緒に仕事をするというスタイルを実行したということですか。

 これは、弟子たちの人格を認め、共に仕事を分担してさせるという協力作業であり、わが国の丁稚や元服後の武士が藩校に通って勉強するというということとも大いに異なっていますね

 「そうです。ヴェロッキオらのやり方は実践的であり、それを通じて弟子たちが自己形成を可能にさせるという教育的に優れた教え方をしてのです。

 また、ヴェロッキオの活動を支えたのがメディチ家であり、そこを基盤として教会や公共的な事物を建造していくという仕事を担っていたのです。

 実際に、ヴェロッキオは、フィレンチェの大聖堂を建築する委員会に所属し、その製作者であるブルネルスキとも交流があったそうです。

 そのせいで、ブルネルスキ没後においても、レオナルドは、ヴェロッキオとともに、その大聖堂の建築に関わることができていたのです。

 それは、レオナルドにとって目の前にあった生きた教材だったのです」

生きた教材

 「それは真にすばらしいことですね。画家にとって、目の前に、その対象物があることは、このうえもなく喜ばしいことであり、それが絵画の現実性や芸術性を高めることになります。

 レオナルドさんの前には、そのように生きた見本がいくつもあって、それを実践的に学ぶことができたのですね

 「そうだと思いますよ。ヴェロッキオ工房は、メディチ家の支援もあって、当時のイタリアの芸術活動を行うトップの集団としての役割を果たしていましたので、芸術的にも、文化的にも優れた水準が求められていました。

 レオナルドらの弟子たちにも、その水準が求められたことから、若き弟子たちは、大いに発奮したんではないでしょうか。

 また、それを指導したヴェロッキオにも、優れた教育者としての資質がありました。

 そこが、ルネサンスのメッカ、イタリアのすばらしいところです」

 「レオナルドは、実際に、どのような貢献をしたのですか?」

 「それに関しては、有名な逸話があります。どうやら、それは実際にあったことではなかったようですが、じつにおもしろい話です」

 「といいますと・・・?」

 「ヴェロッキオが得意だったのは彫刻の方だったそうですが、ある時教会から『キリストの洗礼』の絵画を依頼されます。

 そのキリストの顔や上半身は、ヴェロッキオ自身が掻き、下半身以下や周囲の人物像は弟子たちに描かせたそうです。

 そのなかの天使像は、弟子のレオナルドとボッチチェリによって描かれました。

 そのうちの向かって一番左の天使像をレオナルドが描き、それが非常に評判になりました。

 そしたら、それを聞いたヴェロッキオは、すぐに絵を描くことを止めてしまったそうで、それ以降は、レオナルドらに絵をすべて描かせたのです。

 ここには、自分の絵の才能の無さを素直に認めた教育者としてのヴェロッキオの姿勢と真摯な態度が認められます」

 「彫刻家としてのヴェロッキオの業績には、どのようなものがあったのでしょうか?」

 「もっとも優れた彫刻は、バルトロメオ・コッレオーニ将軍の大きな騎馬像です。

 ほかに、レオナルドがモデルといわれているダビデ像などがあります」

 (つづく)。

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ヴェロッキオ作「バルトロメオ・コッレオーニ騎馬像」(さくらインターネットより引用)

参考文献:『レオナルド・ダ・ヴィンチ・上』ウォルター・アイザックソン、文芸春秋