第七報の執筆に際して(1)

 2、3日前に、ようやく日本高専学会誌第29-1号が発刊されました。

 これは、論文特集号のようで、日本高専学会のHP上で、しかも会員限定で閲覧が可能ということのようです。

 以下、掲載された論文名を示します。

 21世紀における高専教育改革の展望(Ⅰ)
 -実践的技術教育の足場-

 21世紀における高専教育改革の展望(Ⅱ)
 -高専史における独創的長所の形成過程-

 21世紀における高専教育改革の展望(Ⅲ)
 -創造的技術教育の特徴と限界-

 すでに、これらに続いて第4~6報については投稿済みであり、その対応が待たれているところです。

 なお、上記の3報に関しては、ぜひとも一読したいという希望の方において、日本高専学会の会員の方はオンラインでの一読をよろしくお願いいたします。

 また非会員の方においては、本ブログのコメント欄において、その旨をお知らせくだされば、E-メイルか郵送にて、そのPDF原稿を送付いたしますので、送付先をご明示ください。

 さて、ようやくですが、これらは、大変お世話になり、私の自己形成がなされた高専時代を振り返って、その恩返しを兼ねての私なりの総括を行おうとしたものです。

 まだ、その口火が切られたところですが、これから、徐々に深入りしていきますので、どうかよろしくお願いいたします。

執筆量が増えた理由

 この論文執筆にあたり、当初の予定では、第4報までで終わることにしていましたが、いざ書き進めてみると、それが計画の枠内に留まらなくなりました。

 その理由の第1は、現在の第2報以降を最初に書き進めていて、それがなかなか進展せず、そこに何が問題があったのかを探ってみると、やはり、技術と実践的技術教育の基本に関する普遍的で抽象的な概念の哲学的掘り下げが不十分であったことに気付いたことにありました。

 そして、その論文化を何とか成し遂げると、第2報、第3報の方は比較的スムースに叙述が進むことになりました。

 第2の理由は、第3報までにおいて実践的技術教育および創造的技術教育の特徴と限界問題を考察したことによって、それらをより発展させた技術教育の概念をどう新たに提示していくのか、この具体的な概念構想を明らかにする必要があるという判断にいたり、その考察を行ったのが第4報でした。

 この執筆も、当初の執筆計画には存在していませんでした。

 第5報は、高専固有の地域密着性を考慮した「地域に根ざした高専づくり」に関する執筆でした。

 周知のように、高専は、地域の中学卒業生を主として受け入れている境域機関ですので、その点が地方大学の学生受け入れ事情とは大きく異なっています。

 また、高専の立地場所は、地方における第二、第三都市が多く、そこでは工学系の高等教育機関がほとんどないことから、高専は、そこでの保護者、中小企業や各種の団体、市民などとの協力、共同が進みやすいという客観的条件を有しています。

 すなわち、高専が地域に出て積極的に働きかければ、すぐに地域が対応できるという、打てば響く関係を築いていくことができます。

 しかも、現在は、産業構造が急変し、さらに少子化も進展していますので、高専がいかに地域に根ざして貢献を行うのかが、非常に重要な課題になっていることを、この第5報において明らかにしました。

 また、この「地域に根ざした高専づくり」の問題を本質的に探究していくと、その背後にには「地域に根ざした技術づくり」があるのではないかという到達に至りました。

高専発のマイクロバブル技術

 すでに、筆者は、1995年にマイクロバブル技術を世の中に明らかにしていましたので、この観点から本技術を見直してみようと思うようになり、それが「高専発のマイクロバブル技術(1)」の第6報としての論文化に結びつきました。

 かつて、全国高専教職員組合における教育研究集会においては、「高専らしい研究」や「高専にふさわしい研究」とは何かが熱心に議論されたことがありましたが、私が幸いにも開発することができたマイクロバブル技術は、その考究に適したテーマではないかと思い、その考察を進めることができました。

 このマイクロバブル技術に関する開発と教育に関する論考は、当初の計画のなかに一応ありましたが、いざ、それを執筆してみると一報のみで終わらないことが判明し、それを開発前後の1995年の前後で分け、さらに、その後半部分を2012年の高専退職前と後で、さらに時代区分して考察するのがよいという判断しました。

 これらの高専発マイクロバブル技術の3部作を含めて、一連の論文化の作業は、自らの足元を深く掘り進めることによって、そこから滾々と泉の水が湧いてきたこととよく似ています。

 そこで第七報の「高専発マイクロバブル技術(2)」は、1995~2012年春までの高専時代のことを中心に叙述を行うことになりました。

 なぜ、マイクロバブル技術が高専という職場から生まれ、発展していったのかを深く明らかにするとともに、その必然性と限界、弱点をも率直に考察していく予定です。

 なお、このマイクロバブル論は、次の第8報まで続ける予定であり、ここでは、高専を退官した後において、今の大分県国東市にあるナノプラネット研究所における技術開発問題について考察を重ねていくつもりです。
 
 これらの執筆にあたり、その準備を行うために、数冊の関係図書、必要な資料の収集、情勢の分析などを行いながら、その大切な箇所については、読み返しと考察の重ねを行い、必要なノートづくりも行っています。

 それだけ、私にとっても、マイクロバブル技術が何であったのか、それがどのように発見され、その社会実装において、どう洗練され、そこから新たな科学的探究の課題が見出されてきたのかなどに関して重要ないくつもの問題を孕んでいるように思われます。

マイクロバブル技術とイノベーション

 なかでも、この高専発のマイクロバブル技術とイノベーションの関係についての考察を深く行うことが重要ではないかと考えています。

 その際、非常に重要な参考書としてマット・リドレー著の『人類とイノベーション』を拝読しました。

 これまで、何かとイノベーション、イノベーションといわれながらも、その正しい歴史的概念や特徴について明確に叙述した著作は少なく、私自身も、その意味をよく理解していませんでした。

 この本は、2021年に翻訳されて日本でも出版されましたが、その前に欧米ではベストセラーになっていました。

 「なるほど、そうであったのか!」と、納得できることが多く、著者の優れた見識に驚き、その内容に引き込まれていきました。

 そこで、さらに同著者の本をさらに二冊追加購入し、このイノベーション論を構築するに至った背景を勉強することにしました。

 おそらく、これらの吟味の内容を踏まえて、高専発マイクロバブル技術のイノベーション性を考察することが、第七報の後半における重要な内容になるのではないかと推察しています。

 次回は、このイノベーション論について、より具体的な考察に分け入ることにしましょう(つづく)。


mimoza
              夜のミモザ(窓から撮影)