二人の「ダ・ヴィンチ」研究(6)

 高野長英と渡辺崋山は、幼いレオナルド・ダ・ヴィンチがあこがれの目標としたフィリッポ・ブルネレスキは、どういう人物だったのかについて強い興味を覚えました。

 「崋山さん、フィリッポ・ブルネレスキは、ルネサンスの初期の人物だそうですが、かれが活躍したフィレンチェのことをよく理解しておく必要があると思います。
 
 当時の13世紀におけるフィレンチェの人口は4万人でした。

 以前は10万人もいたそうですが、黒死病とペストによって半分以下になってしまったそうです。

 もともと、フィレンチェは昔から毛織業を中心にした都市でしたが、首都のローマなどと比較して、あまり特色のない、いわゆる、ぱっとしない、しがない都市でした」

 「そのフィレンチェが、どう発展していったのですか?」

 「フィレンチェには国王がいませんでしたので、商人や芸術家たちが集まってきやすかったのです。

 まず、絹職人が画家と協力して芸術的な織物を作り、それを商人たちが売りさばきました。

 また、金箔師は絹職人と手を組んで魔法のような服を仕立てました。
 
 木彫師は、建築家が建てた102の教会の内部の飾りを造りました。

 通貨『フロリン』は、金の純度が高いことで知られ、ヨーロッパ全域において国際通貨として使用されていました。

 貸方と借方を併記する複式簿記が採用され、商業が栄えました」

 「すばらしい発展ですね。これは大阪とよく似ていますが、そこに為政者がいなかったことはありません。やはり、自由であることが、芸術家や技術者、商人に歓迎されたのでしょうか?」

 「そうですよ。レオナルド・ダ・ヴィンチがフィレンチェに住んでいた1472年に、文筆家のペネデット・デイは、完璧な都市の7つの基礎条件を次のように備えていると示しました。

 ①完全な自由がある。
 ②人口が多く、豊かで美しく着飾っている。
 ➂水量の豊かな清らかな川があり、市壁内に水車が多い。
 ④統治体制が確立している。
 ⑤大学があり、ギリシャ語と会計を教えている。
 ⑥あらゆる芸術分野で卓越している。
 ⑦世界中に銀行と貿易の出先機関がある。

 このように、優れた基礎条件を備えていたのが、当時のフィレンチェであり、そこでレオナルド・ダ・ヴィンチが育ったのです

 「なるほど、私たちには考えられないことばかりですね。

 そこでいう『大学』とは、どういうものですか?」

 「当時の学校は教会のなかにあったのですが、それとは別に市民が創った高度な学問を教えるところです。

 それまでは、ラテン語が公用語でした。

 それを教会で教えていたのですが、そことは違って、自分たちが創った大学で、ギリシャ語と会計を教えるようになったことは、実用を兼ねた非常に重要なことでした。

 私が驚いたことは、当時のフィレンチェでは識字率が三割を優に超えていたことです。

 これは、当時のヨーロッパでは最高だったそうです。

 これらを考慮すると、レオナルド・ダ・ヴィンチは、ヨーロッパで最高に優れた商業、金融、芸術の都市に生まれ、それらの影響を大いに受けて育ち、成長していったのです」

フィリッポ・ブルネレスキ

 「そうですか、自由がほとんどない私たちとは大きく違っていて、真にうらやましいかぎりです。

 ところで、レオナルドが目標にしたブルネレスキさんは、その自由な商業都市のなかで、どのように活躍されたのですか?」

 「かれは、レオナルドと同じも非摘出子であり、父親は、レオナルドの父親であったピエロと同じ公証人でした。

 かれは、父親の公証人の仕事よりも創造的な職業のほうがよいと考え、金細工師になりました。

 運がよかったのは、金細工師は、絹職人と商人と一緒の組合に入っていましたので、かれらと交流することによって少なくない友人を得たことでした。

 また、建築にも興味を抱き、フィレンチェの大聖堂の建造にも深くかかわりました」

 「金細工師が、大聖堂の建築まで行うようになったのですか?それはすばらしいことですね」

 長英と崋山は、このブルネレスキの仕事と業績についてより詳しく調べ、検討することにしました。

 次回は、その仕事と業績についてより詳しく考究していくことにしましょう(つづく)。

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  13世紀のフィレンチェ(下記の文献より引用)
      (橋が一つしかなかったのに、この時期に一挙に3つ増えました。
  川の左岸側は、職人たちが多く住んでいたそうです)

参考文献:『レオナルド・ダ・ヴィンチ・上』ウォルター・アイザックソン、文芸春秋