ふと気が付いてみたら
 
 何気なく、記事の利用状況を開いてみたら、すでに5300回を過ぎていました。

 うっかりしていました。

 本記事は、その5309回目になりますが、新たな5300回記念のシリーズを開始いたします。

 さて、その記念のタイトルを「不易流行の賦」としました。

不易流行とは

 「不易流行」は、松尾芭蕉が晩年に、「奥の細道」の旅に出かけて時に、句魂として追い求めた概念です。

 これを作家の森村誠一さんは、松尾芭蕉と同じルートを、芭蕉と同じ気持ちになって、すなわち、森村芭蕉になって探究されています。

 かれによれば、不易とは「不変のもの」、流行とは「時代とともに動くもの」と解されています。

 この相反する概念を統一的に捉え、その本質を旅のなかで追い求める、これが句界の頂点にいた芭蕉の最後の挑戦でした。

 そして、この旅は、文字通りの最後となり、病床に伏すことになりました。

 そのなかで、あの名句が生まれます。

 旅に病で 夢は枯野を かけ廻る
 
 病床のなかにおいても、夢のなかで旅をし続け、「不易流行」を求めて止まなかったところに芭蕉の風雅の究極があったと、森村芭蕉は語っています。

 この風雅の究極とは、時代の最先端のなかにある(流行)において、不朽の価値を悟ることであり、それは、たとえ病に伏してさえにおいても、ひたすら追い求めたことだったのです。

 この命題を、現代に置き換えたら、どうなるのであろうか?

 その一端を切り拓いてくださったのが、森村芭蕉の『芭蕉の杖跡』です。

 これを参考にしながら、それでは、「マイクロバブル博士の『マイクロバブルの旅』」においては、それはどうなのか?

 こう考えて、本記事の執筆を始めることにしました。

 これは、「私のマイクロバブルの旅」における奥の細道であり、マイクロバブルの不易流行とは何か、を追い求め、極めていく道程と考えてもよいのかもしれません。

 思い起こせば、本ブログの書き出しは、上条恒彦さんの「出発(たびだち)の歌」を「引用したものでした。

 なけなしの3万円を叩いて、下宿の隣に住んでいたNから中古のステレオを買い、そのために最初に買ったレコードが、この歌でした。

 これをいつもかけて、大声を出しながら唄い、勇気をもらいました。

 さて、私のマイクロバブル奥の細道は、どうなっていくのか?

 不易流行の句魂を学びながら、これから、その道に分け入っていくことにしましょう。

 分け入っても 分け入っても マイクロバブル

 (つづく)。

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オリーブの花(中庭)