孫たちからのプレゼント(2)
敬老の日の素敵なプレゼントのメインは、山梨産「ぶどう」でした。
箱入りのシャインマスカットと種なしピオーネが合計で3房ありました。
早速、その前者を数粒いただきました。
上品な甘さで美味しく、種はありませんでしたので、そのまま皮ごと賞味することができました。
シャインマスカットといえば、先日の「サマフェス」の席で祝いに出されたケーキの上に載せられていたものを思い出します。
孫のユッツやしらたまちゃんも、このシャインマスカットを抓んで、カットされたケーキよりも先に食べて喜んでいました。
ユッツといえば、昨日は、保育園の運動会に誘われていましたが、コロナウイルス感染が流行っているとのことで、急遽見学を取り止めました。
さて、前記事に続いて、この夏におけるCHIBE君との交流の、その2を紹介しておきましょう。
それは、読書についての話題です。
CHIBE君の読書好きは、なかなかのもので、この習慣付けをおこなったのが、お母さんでした。
2、3歳の頃に、寝る前に自分の好きな絵本を三冊持って来させて、毎日、読み聞かせながら寝せたのです。
これで、すっかり、CHIBE君は、読書好きの子どもになりました。
今でも、その象徴的な動作があります。
こちらから、孫たちにちょくちょく荷物を送っています。
そのなかに、孫たちが喜ぶものを入れています。
それを全員で明けさせ、思い思いで好きなものを取り出させる様子をラインで視聴します。
他の3人は、お菓子や果物を取り出しますが、CHIBE君は、その中に本を見つけると、真っ先に取り出し、そのままソファーのところまで行ってすぐに読み始めます。
お菓子や果物よりも、本の方が好きなのです。
それから、ラインでビデオ中継した時にも、大概、CHIBE君は同じ姿勢で読書をしています。
読書は、人生の糧、歴史上の人物で読書が嫌いだった方は一人もいません。
私自身の人生訓においても、その人の人生は、結局、読書の量で決まるのではないか、とさえ思っています。
その意味で、CHIBE君が大の読書好きなことは、私にとっても大歓迎なことなのです。
そのかれと読書の話をして、これからもたくさん読むように諭しました。
スマホのゲームよりも、おもしろく、役に立つのが読書だよ、とわかりやすく説明しておきました。
幸いにも、我が家の書斎には、CHIBE君が読んでもおもいろい本がたくさんありますので、そのことも丁寧にいい聞かせておきました。
椿と花水木
今回は、津本陽作の『椿と花水木』について、それを詳しく解説しました。
津本陽は、なかなか骨太の作家です。
たしか、私が和歌山県田辺市に出張した折に、書店の古本コーナーで、同氏作の『巨人伝上・下』を購入し、楽しく拝読したものを、前にCHIBE君に送付しておきました。
それを読んだかどうかは聞いていませんが、それは読みたくなったら読めばよいので、かれの成長が、そのことを可能のするのではないかと気楽に考えています。
今回は、同じ作者の『椿と花水木』であり、これも上下巻の二冊で構成されています。
これは、高知の宇佐村という小さな漁村で、家が貧乏のあまり幼いころから丁稚奉公して働いていたジョン万次郎の伝説でした。
小作人としてこき使われていた万次郎は、その親方に楯突いて漁師になることを決意します。
そして漁師の船で働き始めた矢先、その船が難破して南方の無人島生活を余儀なくされます。
ここで、誰よりもたくましく生き抜いたのが万次郎であり、やがてアメリカの捕鯨船に救われます。
その船長は、万次郎を息子のようにかわいがり、捕鯨と航海術を教えます。
そして、アメリカに帰った万次郎は、現地の学校に入り、首席で卒業し、一等航海士になります。
語学も得意で、当時としては、最先端の通訳士であり、一等航海士、捕鯨者となっていきました。
この万次郎に目を留めたの当時の老中主席の阿部正弘であり、かれの登用とともに、咸臨丸でのアメリカ渡航者に抜擢したのでした。
この万次郎の尽力のおかげで、艦長の勝海舟は何度も助けられます。
その後も、幕府の専門家としての活躍はすばらしく、通訳と文化人として立派な生涯を終えることができました。
こんな話をしていましたので、その上巻をかれが帰った後すぐに送付しました。
そして、次の下巻を、すぐに読んで送付しました。
今回は、この本と手塚治虫の『ブッダ』を入れました。
後者の本も、CHIBE君が、私の書斎の本棚から手に取って読みたそうな顔をしていましたので、それも加えたのでした。
なお、この本は、シリーズ物ですので、残りの4巻はも順次送付していくことになるでしょう。
CHIBEよ、ジョン万次郎に学べ!
(つづく)。
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