敗戦記念日

 本日は、78年目の敗戦記念日であり、私の76歳の誕生日でもあります。

 先ほどから、5人の孫たちがやってきて、にぎやかにリビングで遊んでいます。

 じつは、その76年前に、私は7月の初旬に生まれたのですが、どういうわけか、なかなか出生届がだされないまま一か月以上も後になって、やっと届けられたのが8月15日だったのです。

 なぜ、遅れたのかを大きくなって父親に尋ねたことがありましたが、最初に「文彦」という名前を付けようとしたが、その文字が認められなかったので遅くなったという説明を受けました。

 それにしても、遅すぎる届けでしたが、それ以上のことは詮索しませんでした。

 おかげで、名前は「文彦」から「博文」に変わり、敗戦記念日という忘れられない日が誕生日となりました。

 この日を敗戦記念日といわずに、終戦記念日と呼ぶようになったのか?

 これには、あの大東戦争のみじめな敗北を隠すためだったようで、その事情が、名著『失敗の本質』において詳しく解説されています。

 沖縄が犠牲にされ、本土の主要都市が爆撃され、広島と長崎に原爆が落とされ、日本中が焦土と化してもなお、それを敗戦とは認めず、終戦という言葉でごまかそうとしたことには、自らの責任逃れと再軍国化を企む意図があったのではないでしょうか。

 現に、その後は、警察予備隊から自衛隊へ、防衛庁から防衛省へ、さらには、世界第3位の軍事費突出国へと邁進する危険な指向が強められています。

 なにも考えずに、ふわふわと、これまで以上のことを平気にやってのける首相の危うさは、先の「アベ以上」だ評されており、じつは、「キッシー」さんは、亡国の「ふな侍」ではないかと揶揄されるまでに至っています。

 そして、最低の内閣支持率、そして自民党の支持率を併せて50を切るようになり、青木の法則通り、政府自民党が危うい状況に陥落し始めています。

 失敗の本質

 上述の名著『失敗の本質』において、大東亜戦争における典型的な失敗として、インパール作戦における約三万人の餓死者を出したことが指摘されています。

 これを指揮したのが、第33師団の牟田口廉也中将であり、かれは、この作戦開始後も長く料亭通いをし、芸者を侍らしていたそうです、なかなか前線の司令部に赴かなかったそうです。

 しかも、無理やりに、インパールへの進軍を強行させ、現場の指揮官がそれに反対するとその任務から排除することまでしでかしました。

 さらに、この悲惨な敗北の責任も取らずに、逆に、その失敗後に昇任していくということまで起きました。

 それだけ、陸軍の上層部が腐敗していたからであり、上官が責任を感じない、取らないことが横行していたのです。

 『失敗の本質』においては、日本の軍隊の戦争遂行能力のなさと無責任さ、そして腐敗ぶりをみごとに暴いていますが、その最後の章において、戦後の企業の特徴について、次のような主旨の言及がなされています。

 「日本企業は、日本軍隊の個別の敗戦に学ばない隠ぺい主義、実績を重視した人事抜擢主義を用いない組織性、敗戦責任を糊塗した昇格制度などの問題を教訓的に学び、それらとは異なる日本的集団主義による特質を生かして発展している」

 しかし、このような見解が成り立ったのは、1991年における日本経済のバブル崩壊が発生するまでのことでした。

 このバブル崩壊で、日本の製造業を中心とする産業構造は、衰退へと向かい、さらに2008年のリーマンショックによって追い打ちをかけられ、「失われた30年」といわれるまでになりました。

 このなかで、日本の企業は、2000年初頭から円安に依存して、投資を控えるようになり、技術イノベーションへの挑戦は掛け声だけになってしまいました。

 そして今では、すっかり円安に安住し、リスクを冒してまでも技術イノベーションに挑んでいくという、かつて井深大や本田宗一郎が構築してきた「ものづくり精神」をすっかり後退させてしまいました。

 経済学者の野口悠紀雄氏は、「円安と補助金で日本が崩壊する」とまで指摘するようになりました。

 そして、コロナパンデミック、ウクライナ戦争、そしてアメリカを中心とする景気後退、ドル不安、中国の不動産と金融機関の不安、そして最後の付けが日本に負荷されることなど、これからの日本は、大変な状況を迎えることになります。

 しかし、古来、日本には、これらの国難に対抗していく知恵と工夫がありました。

 これを創造的に活かした対抗軸を形成させていく必要があります。

 78年前の敗戦の日に、日本国民の先輩たちは、その復興と発展を誓ったはずであり、それを十二分に活かしていくことが大切であるように思われます。

 今日の誕生日は、五人の孫たちがにぎやかに祝ってくださるそうであり、今夕が楽しみですね(つづく)。

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高砂百合(前庭)