山刀伐(なたぎり)峠越え

 3日間の大雨で、封人の家に留まっていた芭蕉らは、山賊が出るという山刀伐峠に向かいました。

 出かける時に、その山賊に備えて、封人の家の大家が屈強な若者をガードマンを付けてくれました。

 鑿虱に悩まされ、馬の尿の臭いで苦しめられた芭蕉のストレスは、山賊の襲来があるかもしれないと聞かされたこともあって、大いに募っていました。

 いざ、山刀伐峠に入ると、人影はなく、小高い丘程度の山道でしたが、静まり返って小さな一本道を上っていきました。

 幸いにも、この日は山賊が現れなかったので、芭蕉らはほっと安堵しながら峠を下り、尾花沢へと向かいました。

 尿前の関での厳しい詮索、鳥も啼かずの中山峠の不気味さ、鑿虱の封人の家での大雨による3日間の足止め、山賊が出てくるといわれた山刀伐峠の恐怖など、東北の横断を開始した芭蕉らのストレスは最高潮に達していました。

 しかし、その山場を越えて、無事、古き友人で門下生であった鈴木清風が商家を営んでいる尾花沢に辿り着き安堵した芭蕉らでした。

 清風は、そこの紅粉屋の主人であり、芭蕉からは、富めるものではあるが、志は卑しからずという、優れた人格の持ち主だと評されていました。

 また、かれからは、紅粉屋だけでなく、静かで落ち着ける養泉寺という宿泊場所を提供されました。

 よほど、その安堵と清風らのもてなしがうれしかったのでしょうか。

 芭蕉は、次の句を詠まれています。

 涼しさを わが宿にして ねまるなり

 「ねまる」とは、山形の方言で「座る」という意味だそうです。

 この句のように、安心の宿を得て、ゆっくりと東北の涼しさを味わった様子が詠まれています。

 芭蕉らは、ここで10日間という長逗留を行っていますので、相当に、この地でのもてなしが気に入っていたのでしょう。

 ところで、清風は、紅粉屋を営んでいて、その紅で広く商売をなされていました。

 紅といえば、女性の化粧に用いる特産品であり、尾花沢は、夏になると、その紅花で一面覆われていたそうです。

 そのことを意識されたのでしょうか、芭蕉は、この紅についても艶っぽい句を詠まれています。

 まゆはきを 俤(おもかげ)にして 紅粉(べに)の花 

 紅粉の花を思い浮かべ、化粧をする美しい女性の姿を想像されたのでしょうか。

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紅花

 ここで、森村芭蕉が、鋭い推理を述べています。

 鈴木清風は、せっかくやって来られた芭蕉に対して、女性を差し出したのではないか。

 それに対して、芭蕉は、この句を返した、というのです。

 まゆはき(眉掃き)とは、男にするという意味があり、女性が添い寝をすることを意味していたようです。

 しかし、芭蕉は、その清風の「差し出し」を受けず、その女性に一指もかけなかったのではないか。

 それでは、清風が恥をかいてしまう、どうしようか、と考え、さらに、次の句を詠んで返したのではないか。

 行く末は 誰(た)が肌(はだ)ふれむ 紅(べに)の花 
 
 この句は、あまりにも官能的だとされていて、地元では、あまり前向きに取り上げられていないそうですが、これについても、森村芭蕉は、ズバリと推察されています。
 
 この句をもらった清風は、自分が恥をかいたことを、そして芭蕉に恥をかかせてしまったことを悔やみ、この句を「隠した」のではないか。

 こう考えると、すべての辻褄(つじつま)が合う、これが森村芭蕉の推察であり、まさに明察ともいえますね。

 芭蕉らが尾花沢を訪れて、心身を休めた季節は初夏であり、辺り一帯には紅花が咲いていたのではないでしょうか。

 その紅花が誘う、夢のような一時だったのではないかと思われます。

 奥の細道、じつにいろいろなことがあり、その旅路の彩はゆたかですね(つづく)。

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芭蕉の立像(「芭蕉清風歴史資料館」HPより引用)