私の梅雨明け

 昨夕,執筆中でした論文を仕上げて、学会の方に投稿を済ませました。

 これで、予定の7編のうちの5つの執筆を済ませたことになりますので、しばしの安堵感が漂ってきました。

 この執筆は、昨年末から始めたものですが、その第1編の執筆に約4か月を要しました。

 しかし、その後は、約4か月で4編の脱稿というペースになりましたので、月1で進んでいます。

 先ほど、次の第6編の準備を始めましたので、まずは、幸先良い再スタートといえそうです。

 今回のテーマは、

 21世紀における高専教育改革の展望(Ⅵ)
 - 高専発のマイクロバブル技術(1)-

としました。

 私の前職場は「T高専」でした。

 文字通り、そこで生まれたのが「マイクロバブル技術」でしたので、それに「高専発」という用語を添えました。

 ここでは、高専の長所を探りながら、そこから、なぜ、マイクロバブル技術が生まれたのか、そして、それが今日のように、なぜここまで広く国内外に発展していったのか、しかし、そこには、どのような限界があったのか。

 これらを考究しながら、その足跡を振り返ってみたいと思います。

 もう一つの注目点は、その論文予定のサブタイトルに番号を添えたことであり、その理由についても触れておきましょう。

 「おそらく、1編では収まらないのではないか?

 もししたら2編以上になるのかもしれない。

 書き進めながら、そのことを考えていこうか?」

 じつは、この技術を「高専発」として考究したことがほとんどなく、それが宿題として残っていましたので、その良し悪しを含めて深く考えてみよう、こう以前から思っていましたので、いよいよその時がきたのかなと判断しています。

 それから、当初からあった、これらの一連の論文化において、7編で終わりにするのか、それとも、それ以上に増やしていくのかという問題の検討も行って来て、そのことに関しても一定の方向性が観えてきたように思います。

 そう考えながら、ここは、
 
 「実際に論考を進めながら、それをどうするのかを考えていこう」

と決めました。

 これを、これから執筆して来月末を目標に仕上げる予定です。

 さて、ここまでくると、この論文執筆生活がある程度定まってきたといえますが、そろそろ、そのスタイルを確立していくという問題が出てきました。

 論文執筆には、そのための調査、読書などの準備が必要であり、その執筆においては、考究力と集中力が重要になります。

 また、忍耐強く草稿から推敲を重ねていくという粘りも必要になります。

 このような心身の作業は、一般的に健康をよくするのではなく、それとは反対に働く作用を有しています。

 それによって身を崩しては元も子もありませんので、健康に留意しながら、事を成していくことが不可欠になります。

 そのために、まず、私の書斎にある椅子を新しく購入しました。

 以前のものが、壊れてしまって、非常に窮屈な思いで我慢しながら使用していました。

 今度の新しい椅子は、その座ることにおいて披露をあまり覚えないようで、それが、今回の第五編執筆の途中から大活躍してくれました。

 椅子に座り続けながら、執筆に夢中になっていると、ついつい足を動かさなくなり、その疲労が足に溜まっていきます。

 それが進行すると、足がむくんで硬くなります。

 この危険信号を発するようになると、さまざまな病弱傾向がやや顕わになってきます。

健康を大切にしながら

 いつも、この健康のことを家内からよく注意されていますので、これからは、論文執筆集中期間から脱出して、定常執筆期間へと切り替えていくつもりです。

 幸いにも、第六篇以降は、慣れ親しんできた光マイクロバブルのことですので、楽しくゆかいに進めていくことにしましょう。

 そこで、まずは、本ブログの更新ができていませんでしたので、ここ集中して、その遅れを挽回していくことにしましょう。

 こちらは、ここちよく書けますので、論文ほどの集中力も緊張感も不要です。

 (つづく)。

mannge
万華鏡(前庭)