追悼・久松俊一先生(20)
  
 久松先生、いよいよ、このシリーズも最後の記事を迎えました。

 本記事のテーマは、『私たちの高専改革プラン』における第三提言の「高専大学構想」について考察しましょう。  

提言3「高専大学構想」
 
 その「改革プラン」には、次のような提言がなされています。

 「高専における自治の獲得、教育と研究の統一、高専教育研究の総合的発展を実現することは、高専の多様な質的量的発展を可能とする。

 私たちは、その必然的発展としての『高専大学(仮称)』をめざす。

 『高専大学』とは、高専の教育研究における長所を最大限に生かし、発展させることによって実現され得る新しい高等教育機関である」

 高専においては、長い間、その将来問題において、次の相反する考えがありました。

 ①高専制度を維持しながら発展させていくという説

 ②高専制度を解消して大学化するという説

 ①においては、大学化すると三流、四流の大学になる恐れがあり、それよりか、高専において親身の教育を行った方がよい、とよくいわれていました。

 大学化によって、三流、四流の教育がなされないように、一流、超一流の技術教育をめざせばよいのに、その発展概念を持つことには気づいていないようでした。

 ②においては、大学化によってしか、高専の自治権の獲得、研究機関としての認知を得ることはできないという見解がよく示されていました。

 ここからは、高専によって形成された独創的な長所は何かを明らかにし、それを発展させることによって「大学化」をめざすという概念は、少しもありませんでした。

 それゆえに、①と②は、どこまで行っても互いに歩み寄らない平行線の議論がなされていたのでした。

 この平行線の議論は、高専に専攻科を設置する際にも、同様の議論がなされていました。

 上記の「改革プラン」を作成する際に、この①と②の論議が再び激しく繰り広げられたのでした。

 私は、このどちらにも組していない見解を有していました。

 高専の長所を生かして、より発展させていけば、必然的に大学化の問題に到達してしくのではないか、と考えていました。

 そこで、①と②の対立のままでは、高専の未来を展望することができないのではないか、この議論を聞きながら、何か、ここから進んでいくことはできないかを考えていました。

 そこで、①と②説の方々に、高専の独創的な長所を最大限に生かした新たな高等教育機関としての大学化という考えは、どうですかと提案しました。

 短所を解決するには、短所の問題をあれこれ考えるよりも、その長所を最大限に生かすことによって、自然に短所も解決することが巧みな方法であり、その方が、互いの論者にとって、より有益で納得できることではないか、このように説得したのでした。
 
 最初は、双方ともぽかんとして黙ったまま、しかし、そのうち渋々ながら意見をいい、最後には、ずばらしい、納得できるとまでいい始めました。

 このようにして、この提言3がまとまったのでした。

なぜ今「高専大学」なのか?

 この議論がなされたのは、1994年のことであり、すでに30年前のことです。

 しかし、この時、高専の優れた英知が集まって真剣に議論し、到達したことは、その時間的経過を貫いていて、今こそ重要な「生き抜いてきた構想」ということができます。

 そのことを明察するために、まず、その高専における独創的長所とは何かを明らかにする必要がありますので、次回は、その問題に分け入ることにしましょう。

 久松先生、この議論を行う時期がやってきましたよ。

 こういうと、あなたは、目を輝かせて賛同されたことでしょう。

 草葉の陰で、どうかよろしく見守りください(つづく)。

kutinasi
クチナシの花(前庭)