松島では一句も詠まなかった
松尾芭蕉は、松島を見物した後に、次の文章を遺しています。
「松島は扶桑第一の好風にして、凡そ洞庭・西湖を恥ぢず(中略)其の気色窅然(ようぜん)として、美人の顔を粧う」
このように、芭蕉は、松島が中国の洞庭湖や西湖に劣らない好景色であり、その自然の様子は、美人の顔のようだ、と例えています。
なぜ、松島を美人の顔に例えたのか、そしてなぜ、松島を見物して一句も詠めなかったのか、この謎に、森村芭蕉は迫っていきました。
そして、森村芭蕉は、芭蕉とは異なって、句を詠むことができたのか?
これについても、自分で確かめられています。
まず、その自己体験の結果から先に述べておきましょう。
じつは、森村芭蕉も、松島を見て、一句も詠めなかったのです。
その理由は、次々に現れてくる美しい景色に目が奪われてしまったことにあり、おそらく芭蕉も同じだったのではないか、と森村さんは推察されていました。
すなわち、二人とも、松島の美しい光景に見惚れてしまって、句を詠もうとしても、その時には新たな光景が目の前に迫ってくるという具合になって、結局は詠めなかった、これが真相だったのではないでしょうか。
それから、松尾芭蕉が、松島の絶景を女性の顔に例えていることに対し、森村芭蕉は、その景色が整いすぎて、非の打ちどころがなかったからではないかと推測されていますが、しかし、それを女性の顔に例えたこと自体については、小さくない違和感を覚えられていました。
芭蕉の奥の細道は、不易流行の句魂を究め、より洗練させていくことでしたが、今のなかに変わらないものを見つけようとして、それが、松島の美しい光景からは、なぜか、見出すことができなかったようです。
整いすぎた美しい女性の顔の粧いではなく、その奥にある、もっと深い、そして尊い美しさを求めていたのではないでしょうか?
因みに、
松島や、ああ松島や 松島や
の句は、芭蕉自身による句ではないそうですね。
なお、瑞巌寺の奥の院にあたる雄島を芭蕉らは訪ねていたようで、そこで、森村芭蕉は、夕暮れ時に美しい月と出会い、次の句を詠まれている。
月影の 香れる奥や 島群れて
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