追悼・久松俊一先生(17)
  
 『私たちの高専改革プラン』における第二提言を前記事において紹介しました。  
 
 それを再記しておきましょう。

 「高専が地域に根ざしてさまざまな協力共同を行なうことは、単なる地域貢献に留まらず、やがてはそれが高専教育の充実・発展に少なからずの効果をもたらし得る。

 その意味で、地域に根ざした高専の実現は、きわめて重要な今日的課題である。

 この高専づくりとそのネットワークを中心にした交流は、「日本高専」への発展に導かれる。
 高専の特徴の一つは、その共通性にあり、それを生かした高機能のネットワーク事業を発展させる」

 この最初の件の「地域に根ざした高専づくり」は、非常に重要な課題でした。

 なぜなら、高専が創立されて以来の約30年間は、地域と高専のつながりはほとんどなく、地域から中学校卒業生を受け入れるという一方通行のみだったからでした。

 地域から、入学生をほとんど得ながら、その地域に対してほとんど何も働きかけることをしなかったことで、地域に隔絶されたままの高専が形成されていました。

 1980年代の終わりごろに、地域に対してどのような貢献をしようとしたのかを全国的に調べてみたことがありました。

 その結果は、わずかに有明高専において、風洞を用いた総合技術教育の実践例があるのみでした。

 なぜ、このようになっているのか?

 これが最初に感じた疑問でした。

 また、私がいたT高専の地元自治体であったO市長の口癖は、「T高専は国立だから敷居が高い!」でした。

 現に、かれが市長でいた長い期間において、かれが卒業式であいさつをされたのは、わずかな回数でした。

 こちらが、地域に出ていかなければ、地域も、そのように見て足を運ばなくるものだと思いました。

 地域からは入学生を集め、その高専は地域に隔絶したままである姿は、相当に歪んでいましたが、高専のなかのことだけを考えておれば、その歪も気にならないようでした。

 この状態の継続は、そこに次の独特の保守性を蔓延らせました。 

 ①地域からは、中学生を集めるだけでよい。高専生が卒業していくのは、中央の大企業だから、地元には残らない。

 ②地元の中小企業との交流はなくてよい。その共同研究は成り立たない。

 ③地域担当の窓口は、教務主事だから、かれに任せておけばよい。

 ④高専生は、学内で勉強しておけばよく、地域に出ていく必要がない。

 ⑤小学校や中学校への出前授業は不要である。

 ⑥高専の中だけでも大変なのに、地域の問題を考える余裕はない。

など、挙げればきりがないほどに、このような声がよく聞こえていました。

 一方、私は助教授時代に、当時の工業技術センターのM所長から誘われて、ある中小企業の技術開発員会に参加したことがありました。

 ここには、他の高専のF先生も参加されていました。

 この技術開発のテーマは、小型の排水処理プラントを開発することでした。

 この委員会に参加をしてみたものの、そこで検討されていることは専門外のことでしたので、なかなか、その議論に着いていけませんでした。

 同時に、「自分は、何と狭い分野のことしか勉強してこなかった」と密かに反省することばかりでした。

 いわゆる、タコつぼのなかで育った「未熟な専門バカ」の類だったのです。

 この開発委員会においては、活発な議論が毎回なされていきましたが、その途中で行き詰ってしまいました。

 それは新たに開発して製造した排水処理プラントモデルにおける処理効率の向上が図れなかったことでした。

 なぜ、そうなってしまったのかが、みな解らなかったのですが、その原因の探究は、私にとっては容易いことでした。

 それは、そのプラント内の排水の流動が、縦長の上部の部分のみに偏っていたからでした。

 そのことを指摘すると、委員会のみなさんは、それを簡単に納得されなかったことから、

 「私の意見が正しいかどうかを試すには、そのプラントの処理槽と同じ透明の装置を製作してください。それを観れば解りますよ!」

こう依頼すると、それはすぐに受け入れられました。 

 これが、私の光マイクロバブル研究の始まりであり、その時のことを懐かしく思い出すことができます。

 ここから、地元の中小企業のみなさんと親しく交流することが始まりました。

 私が、直接出かかていく度に、みんさんは非常に喜ばれましたので、その交流が、ちょっとした小さな評判になっていたようでした。

 ある時、その親しくなった社長が、私のところにやってきました。

 それは、

 「私の勤めていた高専の教務主事がやってきて、『窓口は私です。かれではありません』と、みなさんに言って周っている」

ということでした。

 これには、少々驚きました。

 私は、個人的親しく付き合っていただけでしたのに、何を勘違いされたのか、それを自分の立場を犯しているとでも思われたのでしょうか。

 ここに、私は、地域協力の深刻な後進性を感じ取ることができました。

 そんなことでは、少しも怯むことはなく、より積極的に活動を拡げ、それが、地域協力開発センター、テクノリフレッシュ教育センターへの設置へと結びついていきました。

 そして、この地域に根ざした高専づくりの重要性を確信するようになりました。

 また、この活動が全国の高専に普及し、とうとう、高専教員の仕事として「地域貢献」が高専機構によって定められるようになっていきました。

 この提言2によって示された「地域に根ざした高専づくり」が、必然的に発展し、その重要性が、全国的に認められるまでに発展していったのです。

 そして、この課題は、これからの高専の未来を担うものでもあり、その発展が大いに期待されています。

 この問題については、「21世紀における高専教育改革の展望(Ⅴ)」として、その考察と論文化を図る予定です(つづく)。

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ローズマリー(前庭)