実践的技術教育の限界
高専は、創立以来、実践的技術者を育てることを教育目標としてかかげ、それが今日に至っています。
しかし、その62年間において、実践的技術教育に関して、本質的な発展はほとんどありませんでした。
そうなってしまった原因は、どこにあったのでしょうか。
前記事において、この疑問を明らかにしました。
その原因は、次の3つにあるように思われます。
①実験実習の時間を大学に比べて多くしたことは良かったことですが、それが、実践的技術教育の主要と考えてしまった。
②そこから、実践的技術教育に関する研究がなされず、より本質的な究明ができないままであった。
➂1981年の「高専の振興方策」によって、「中堅技術者の養成」、「大学に準ずる」教え込み、の2つが削除されましたが、それが違う表現で生き残っている。
これらの①~➂が入り混じって続いているといってもよいでしょう。
大学における実験実習は、技術職員や助手に任せられていますので、学会において作成された実験用テキストに基づいて行われることが多く、そこでは、あまり工夫がなく、創造性を引き出すような内容になっていません。
ここに、実験実習を通じて、より創造力を開発できる余地が存在しています。
私は、あるとき、広島大学の教授がドイツにおける理科教育の内容を紹介されていました。
私は、あるとき、広島大学の教授がドイツにおける理科教育の内容を紹介されていました。
それは、いわゆる講義は行わず、すべて実験を主体にしていた授業でした。
大きな実験台の上に、さまざまな実験道具が並べられており、その前で、教師が実験を見せながら学ばせる方式でした。
生徒たちは、階段教室に座って、その様子を見降ろしていました。
教師は、巧みに実験のの目的と方法を教え、考えさせることを促していました。
これが、1900年代初頭から始まったドイツ近代科学における到達点かと感動したことを覚えています。
ドイツに留学していた際に、息子(高校生)、娘(中学生)に尋ねてみましたが、ここでは、教師が実験を行って見せるという方式は同じでした。
また、クラスの生徒数は20名で、教師を前にして凹型の机の配置がなされていました。
これだと、どこからでも、教師の仕草をよく観ることができました。
これらがヒントになり、ドイツ、アメリカから帰国してからは、それを、どのように高専の授業に取り入れていくのかを、より真剣に考えるようになりました。
授業を行うクラスの中には、かならず、勉強することに嫌気をさした学生がいましたので、まず、それらを放置しない、かならず話しかけて、徐々に改善していくことにしました。
どうやら、その学生が居眠りしていても、何も言わない授業もあったようで、かれらはそれに慣れっこ、いわば悪慣れしていました。
この話しかけには、かなり注意して、いきなり叱りつけるという短絡な方法は行わず、徐々に話しかけていきました。
「すごく大切な授業をやっていますよ。ひとつあなたも、それを考えてみませんか。少し考えてみると、その面白さが解りますよ!」
こういう思いで、慌てず急がず、語り続けていくと、微妙に態度が変わってきて、「シメタ!」と思う時がやってきます。
そのうち、顔を上げて目をしっかり開いているではありませんか。
こんな時は、そのかれに悟られないように、密かに喜んだものでした。
2つめは、授業を行った後の反省を必ず行うことでした。
「考えさせる」ことを主体にして、そして学生たちに「考えろ!」と言い続ける授業でしたので、これが上手くいったときには大喜び、しかい不味かったこともあり、その時は落胆していました。
なぜ、上手くいかなかったのか、それを克明に追求し、「あそこは、こうすればよかった!」と反省したのでした。
しかし、学生の反応は様々であり、あるとき、このような質問を受けました。
「先生は、なぜ、教科書の通りに授業をしないのですか?」
こう尋ねられて、一瞬、困りました。
「そうか、学生たちは、教科書の通りに行うのが授業なのだと理解しているのか。それが学生たちが受けてきた授業だったのだ!」
と思い、こう尋ねました。
「ほかの先生は、教科書の通りに授業をしているのですか?」
「先生以外は、みんな教書に従って授業をしています」
そうだったのか、こう思い、なぜ教科書の内容に拘らずに授業をするのか、その重要性を丁寧に説明しました。
教科書に書かれていることの奥に、じつはたくさんの問題があり、なぜ、そのような理論を考えたのかという、おもしろい問題があること、それを知り考えることが大切だという主旨のことを滾々と説明し、納得していただきました。
「わかる」とは
この私の授業改革のなかで、次に「わかる」、「わからせる」とは何かが問題になりました。
授業において、考えろ、考えることはおもしろいよ、といっても、それには限界がありました。
すなわち、私の実践的技術教育における授業には限界があったのでした。
「ここは、大事な問題だから、なぜ、そうなのかをよく考えて!」
学生たちも、真剣に考えているようでしたので、そこまでは、好ましい変化でした。
しかし、それを考えて、本当に理解できていたのかについては、少しも明らかになっていませんでした。
そのことは、翌週の授業の冒頭で必ず行っていた小テストの結果で、すぐに明らかになりました。
「ほとんどが、よく解っていない」
ことが判明し、次の知恵を絞る作戦が必要だとおもうようになりました。
私の授業は、より優れた実践的技術教育に至っていませんでした。
次回は、その次の授業改善に分け入ることにしましょう(つづく)。
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