夏の初め

 2003年も5カ月が過ぎようとしています。

 時が経つのは速いもので、まさに光陰矢のごとくですね。

 あることがきっかけになって、前職場において考えていたことをまとめる時期がやってきたのではないかと思うようになりました。

 その一念発起をしたのが昨年末、以来、いつもの年とは違って、ひねもす執筆に明け暮れる生活になりました。

 比較的に自由な時間が増えたこと、そして念願でもあった前職場における36年間を振り返って、それを総括することも私の人生にとってはよいのかもしれないと思うようになったことが、この筆を進ませることになったのかもしれませんね。

 さて、5月のガイダンスを行っておきましょう。

「須らく雫の石を穿つ如く」
 
 高野長英の「学則」に学び、今月も上記の文筆に勤しむことができました。

 この間において認めた論文題目を下記に示しておきましょう。

 「21世紀における高専改革の展望(Ⅰ)ー高専における実践的技術教育の足場ー」

 「21世紀における高専改革の展望(Ⅱ)ー高専史における長所の形成過程ー」

 「21世紀における高専改革の展望(Ⅲ)ー高専における創造的技術教育の特徴と限界ー」

 それぞれ、14000~15000字の長文になりました。

 これらの題目からも明らかなように、これらの論文における主要な内容は、高専における技術論、技術教育論に関するものです。

 全体の流れは、先に、その抽象的、普遍的考察を行い、徐々に具体論に迫っていこうという特徴を有しています。

 若いころから、それこそ、須らく(常々、いつも)、このテーマについて考究してきましたので、それらを引っ張り出して参考にしました。

 そして、その数十年において滔滔と流れてきた普遍的な現象を本質をつかみとり、それを基本にした確かな考究の大切さを改めて認識いたしました。

 この論文化においては、わずかに数滴の雫を落としたにすぎませんが、それらが、石に沁み入り、どこかで弾けてくれるかもしれない。

 そう思いつつ、その暁の「穿つ現象」を期待しながら、高野長英先生の教えを受容していくことにしましょう。

 来月からは、その第四報の執筆に取りかかる予定ですが、その中盤戦に入ってきて、なんだか執筆の調子が出てきたようです。 

「『渡辺崋山』考(4950回記念)・崋山と長英」

 この「仮想物語」は佳境を迎え、高野長英と渡辺崋山が、宇和島藩の伊達宗城公との面会を終えたところです。

 かれらは、宗城公が、西洋文化に強い関心を持って多くの文献を集めていたことから、「もしかしたら何らかのレオナルド・ダ・ヴィンチに関する情報を持たれているのではないか、あるいは、その絵画を手に入れているのではないか」と推測して、宇和島までやってきたのでした。

 その時の宗城公の言動から、その可能性を感じた二人でしたが、そのことを直接かれから聞き出すことはできませんでした。

 それは、シーボルト事件にも関係する最高レベルの国禁情報でしたので、無理を言って聞き出そうとすれば、宗城公の身が危険になって幕府から睨まれ、最後には藩の取りつぶしにまで発展する可能性があったからでした。

 宗城公は、そのことを危惧して、絶妙のタイミングで立ち上がり、無言のままで出て行かれました。

 その後を託されたのが二宮敬作でした。

 その二宮が密かに持参したのが、レオナルド・ダ・ヴィンチ作の「糸車の聖母」の模写絵画だったのでした。

 これを見せられた渡辺崋山は、腰を抜かすほどに吃驚仰天しました。 

 それは、あまりにも「糸車の聖母」の模写絵画が優れていたいたからで、崋山が完全に打ちのめされてしまったからでした。

 一本の線もない、みごとに捉えた聖母とイエスの表情のリアルさ、遠近法、そして鮮やかな色合いなど、すべてにわたって、自らの絵画と比較すると格段に優れていたからでした。

 これを契機にして、渡辺崋山は、これまでの自分の画法を根本的に改めるとともに、西洋のルネサスの研究に勤しむようになります。

 それには、高野長英が不可欠であり、その共同作業によって、崋山は、後に日本のレオナルド・ダ・ヴィンチになったかもしれないといわれるようになりました。

 これから、もっと、この流れが進展していくでしょう。

「老いの覚悟と生き方(4850回記念)・奥の細道」

 松尾芭蕉の最高傑作の「奥の細道」を森村誠一さんが、その現代の芭蕉になって分け入っていく様を観察しています。

 これから、あの松島入りを行なうご両人ですが、ともに、その旅が佳境に入ってきたところです。

 この二人の旅心を学ぶことが、本シリーズの目的でしたが、それについては、もう少し奥の細道に分け入ったときに、振り返ってみましょう。

 しかし、一つだけ、これはよかった、大いに、その良さを学ぶことができたという事例を紹介しておきましょう。

 それは、森村さん推奨の「写真俳句」でした。

 私が撮影した写真に、未だ拙いかぎりですが、俳句を書き入れて示してみたところ、これが良かったようで家内や親戚の方にも反響がありました。

 森村さんも、その写真俳句の効用と反響を指摘されていました。

 やはり、物事は、実践の方が考えることよりも先にあるようですね。

「追悼・久松俊一先生」

 先日、依頼を受けて日本高専学会誌に、久松俊一先生の追悼文を認めました。

 この追悼文については、文字制限がありましたので、それを参考にしながら、追加の追悼文を加えることにしました。

 多数の困難と深い矛盾を抱えながらも、決して、そこから目を背けることなく尽力してきた久松先生は、非常によき友人でした。

 なかでも、日本高専学会の活動において、よく語り合い、よく競い合ったことで、非常に深く理解し合った仲でした。

 また、理論好き、話好き、酒好きの方でもあり、これらの面においても親交を温めることができた方でした。

 今でもよく思い出すのは、長野県阿智村の昼神温泉で開催した小さな集会において、木更津特研に関する特別講演をじっくりしてくださったことです。

 それは、自己確立ができていなかった女子高専生が、先生と一緒に特別研究に取り組むなかでみごとに変身して立派に成長を遂げていった教育実践でした。

 そうか、久松先生の自信と確信は、ここに依存していたのかと思わされました。

 その時のうれしそうな先生の顔が浮かんできます。

 まだ、しばらく続きますので、お付き合いをよろしくお願いいたします。

 (つづく)。

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オリーブの花(中庭)