追悼・久松俊一先生(8)
 
 前記事において紹介したように,木更津高専の西田校長の指向と同校一般科目の先生方の意向が同調し始め,その具体化として一般科目のカリキュラムについての自主的研究が進展していったことが非常に重要な出来事でした.

 この契機となったのが,『高専の振興方策(1981年,国立高等専門学校協会)』であり,ここでカリキュラムの大綱化が打ち出されることによって,この自主的研究の流れが拡大していったのでした.

 さて,前記事において示した私の追悼文の第六節の部分を再録します.

 6. 日本高専学会における理論的支柱

 こうして,日本高専学会年会における「木更津特研」に関する発表は,いわば花形的存在になっていきました.また,2001年からは,連蔵シンポジウムを開催し,そこでも,先生は,次のように重要な講演発表と取りまとめをなされてきました.

①「一般教育の意義」2001

②「大人化プログラムの展望」2001

  ③「シンポジウムin木更津」実行委員長2002

④「歴史から学ぶ日本の技術者教育-工部大学校の場合-2004 

 また,これらの発表と討議を経て,その理論的追究もなされてきました2)~6.

このように,先生は,日本高専学会において一般教育や教養教育の意義を提起されるとともに,その実践報告に基づいて,その理論的支柱を構築されたのでした.そして,その理論的到達点が,「良識のある市民教育論」でした.これは,高専でしかなしえないと確信され,その探究心に自ら火を点けられたのではないでしょうか.その後,久松先生ほかのご努力によって,今では全国の高専に広がり始めています.真に「特研」は,「一隅の灯(図-2)」でした.  

  1)全大教高専協議会:『私たちの高専改革プラン』,1994.

 2久松俊一:高専における一般教育の可能性,日本高専学会誌,2221997.

  3)久松俊一:「技術」概念に関する思想史的考察,木更津高専紀要,29631996.

  4)久松俊一他:久松俊一:専実践事例集・こんな授業を待っていた(共著),1994.

  5)五十嵐譲介他:探究心に火をつける―授業「特別研究」の挑戦(共著),2005.

  6)加田健一郎・久松俊一他:「国語」における社会教育のあり方,日本高専学会誌,25,3,2020.


 上記のように,『私たちの高専改革プラン』が1994年に発表され,その提言1によって,翌年の8月に日本高専学会が創立されました.

 久松先生は,この日本高専学会年会と連続シンポジウムにおいて,木更津「特研」の教育成果を中心に研究発表を続けてこられていました.

 それらが,上記の文献2)~6)に示されています.

 また,2000年に入ってからは,それらの教育成果を踏まえて,高専における教養教育のあり方や高専生の人物像に関する研究にも着手され,それらを順次発表していくという精力的な活動を展開されました.

 そして,いつしか,日本高専学会における一般科目教育に関する理論的支柱になっていったのでした.

 その活動が周囲に評価されるようになり,日本高専学会の理事に就任されました.

 この理事に就任されてからも,久松先生を中心にして,木更津高専の一般科目の先生方が年会に集まって多数講演発表をなさるようになり,このセクション会場に多くの参加者が集い,熱心に討議を行うという光景が毎年繰り広げられるようになりました.

 そして,これらの発表と討議が,全国の高専に波及し始めることになりました.

 全国の高専教員の「探究心に火がついた」ことによる素晴らしい波紋現象でした.

 一隅の灯が,全国津々浦々に輝き始めたのでした(つづく)。

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国東市岩戸寺の石碑に刻まれていた