雨降り小僧との約束
  
 手塚治虫作の「雨降り小僧」とは、どんな作品なのか?

 坪内稔典さんが、数々の手塚作品のなかから選んだ作品なので、さぞかし、それは素敵な作品なのだろう。

 もとろん、初めて聞いたことだったので気になりました。

 そのうち、「これを読んでみよう」と思うまでに至り、アマゾンで、このマンガ作品を探してみました。

 そしたら、それは、集英社の手塚治虫名作集21巻の第二巻であることが判明しました。

ーーー そうか、どうしようか?この巻だけを買うか、それとも、この全集を丸ごと買うか?

   ほんのわずかの逡巡でしたが、それはすぐに消えていきました。 

ーーー 全集を買おう!もしかして、新たな手塚治虫ワールドがあるかもしれない。それから、これを読み終えた後には、孫の「しらたまちゃん」に送ることができる、一石二鳥ではないか!

 それが届いて、早速、『雨降り小僧』を拝読しました。

 そして、稔典さんが、そのエッセイにおける起承転結の意味を理解することができました。

 「転」は、数ある手塚作品のなかから、『雨降り小僧』を選んだことであり、その「結」が「雨降り小僧との約束」だったのです。

胸がキュンとなる

 このマンガの主人公の「モウ太」は、その日もいじめられて、河原で打ちひしがれていました。

 そこで、雨降り小僧と呼ばれる妖怪に出会いました。

 傘をかぶり、その上からは、いつも雨が降り注がれていました。

 一人ぼっちのモウ太は、なぜか、雨降り小僧に親しみを覚えました。

 それは、雨降り小僧の方も同じでした。

 そのうち、雨降り小僧が、モウ太が履いていたブーツ(長靴)を見つけ、その「靴をください」と強請(ねだ)ります。

 最初は、1000円もしたブーツをやれるかと断っていましたが、それでも、非常に気に入ったのでしょうか、何度も、その靴をしつこく強請っていました。

 「なんでも3ついってください。靴をもらえたら、それらを叶えてあげます」

といわれて、モウ太の気持ちが傾きます。

 この作品が掲載されたのは1975年9月の月間少年ジャンプでしたので、私が琉球大学に赴任した年でした。

 あの頃、昼飯において琉大生協でお昼に食べたのが大きな丼に入った味噌汁とご飯が100円程度でしたので、1000円といえば、その10日分ですので、たしかに安い買い物ではありませんでした。

 当時は靴も高価であり、復帰前においては琉球大学の先生でさえも、長靴を履いて出勤していた時代もあったそうです。

 それゆえ、モウ太が履いていたブーツは、貴重品でしたので、一本高下駄の雨降り小僧の素足はいつも冷たく、何よりも欲しかったのでしょう。

 モウ太は、田舎の分校の生徒であり、いつも本校の生徒にさげすまれ、いじめられていました。

 その仕返しをするために、自分の履いていたブーツを譲ることを決心し、3つの願い叶えてもらうことにしました。

 その第一は、都会の本校の連中が持っていないものを貰うことでした。

 そこで雨降り小僧は、それを先輩の妖怪に依頼し、小亀をもらいます。

 それを気に入ったモウ太は、本校の子供たちに、それを自慢げに見せると、またしてもいじめられ、その亀も取り上げられてしまいました。

 第二は、そのいじめっ子たちへの仕返しとして、大雨を降らせてもらいました。

 豪雨によって彼らが逃げ込んだ小屋に大雨を降らして、そこを水浸しにして懲らしめたのでした。

 最後は、何にしようかと考えていた矢先、自分が通っていた分校が火事になりました。

 モウ太のお父さんは、その分校の先生であり、生徒はモウ太を入れて3人でした。

 この分校が燃えてしまうと、先生も生徒も困りますので、雨降り小僧に火を消してもらうことをお願いしました。

 その大雨でたしかに火は消えてしまったのですが、その分校は無くなってしまい、モウ太は家族と共に都会に移っていきました。

 それから、中学、高校、大学へと進み、企業に就職し、結婚、今では、小さな会社の社長になっていました。

 あるとき、自分の子供から、ブーツを買ってほしいと強請れ、一緒にブーツを買いに行ってショウウインドーにあるブーツを見た瞬間に、幼いころに結んだ約束があったことを思い出します。

 「40年も、約束をはたさかなった、自分は悪い男だ」と反省しながら、列車に乗って、雨降り小僧が待っているかもしれない橋の下に急いで向かいます。

 そこには、昔の木の橋はなく、コンクリートで造られた橋がありました。

 そして、そこに、40年間待ち続けた雨降り小僧を見つけました。

 ここからが、胸がきゅんとなる感動のシーンです。

 モウ太は、ブーツを雨降り小僧に差出し、雨降り小僧は、それを喜んで受け取り、その場でブーツを履きます。

 40年ぶりに約束が果たされましたが、その時には、雨降り小僧の身体はボロボロになっていてました。

 そして、元気なく、こう別れの言葉を発しました。

 「だからモウ太ともお別れだ。まにあってよかったどに。きっといつか持ってきてくれると御持っとったどに・・・・」

 「モウ太さいなら・・・・元気でな・・・・」

 雨降り小僧は、そのまま消えてしまい、そこには水たまりが残っていただけでした。

 モウ太は、もっと話がしたいといいながら、そこに顔を伏して崩れ落ちたままでした。
 
約 束
 
 これは、マンガにおける妖怪との約束の話ですが、このようなことは、人の世界においてもあることではないでしょうか。

 それゆえに、坪内稔典先生や私たちの胸がきゅんとなったのではないかと思われます。

 誠実に、その約束が果たされることを待ち続けた雨降り小僧、その約束を40年間忘れてしまっていたことを反省して駆けつけたモウ太、しかし40年という歳月は、妖怪の寿命であった、この人生のはかなさをみごとに示した名作でした。

 きっと、手塚治虫さんにも、このような反省があって、そのことをマンガにされたのではないでしょうか。

 手塚マンガのリアリズムが鮮やかに示されていました(つづく)。

akai
赤い花(中庭)