最後の晩餐の謎(3)

 レオナルド・ダ・ヴィンチ:
 
 「野望に燃える専制君主たちに包囲されたなら,わたしは何らかの手段を見つけて.自然からの最高の贈り物,つまり自由を守る,(中略)自由を失うくらいなら死んだほうがいい。雛が龍に囚われると,ギシキヒワはトウダイグサ(毒草)を運んできている」


    この言葉からも,レオナルド・ダ・ヴィンチがいかに自由を愛し,尊いものであるかと考えていたことが明らかです.これは,フィレンチェの自由で自立した芸術家集団のなかで育ったからであり,このかれの思いは生涯変わりませんでした.

 レオナルド・ダ・ヴィンチの代表的傑作のひとつの「最後の晩餐」における2つ目の謎,それは,巧みに組み込まれた遠近法です.

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最後の晩餐(Wikipediaより引用)

 かれは,どのようにして,この方法を巧みに適用することができるようになったのでしょうか.

 このことを探究するために,名著『ダ・ヴィンチの右脳と左脳を科学する(レーナード・シュレイン(著))』に続いて,下記の著作を手に入れました.

 『レオナルド・ダ・ヴィンチ上・下(ウォルター・アイザックソン(著))』

 この著者は,ハーバード大学卒,米『TIME』社の編集長,CNNのCEOを歴任した著名なジャーナリスト兼歴史学者であり,ダ・ヴィンチが遺した7200枚の手記,文献をすべて読みこなして,この名著を執筆したそうです.
 
 そこで,これらの名著を参考にしながら,その謎について分け入っていくことにしましょう.

 すでに前記事において,この絵画は,主人公のイエス・キリストが,

 「あなたがたのうちの一人が、私を裏切ろうとしている」

といった瞬間における弟子たちの驚きや疑い,そして,それは誰かを論じている様子がみごとに描かれています.

 アイザックソンによれば,レオナルドは,夢中になって一日中筆を動かす日もあれば,その前で,じっと絵画を見つめ,さっと一筆を入れて帰る,あるいは,何も描かずにじっと見たままで一日を過ごすこともありました.

 遅筆で有名なレオナルドは,その製作過程において,常に周囲をやきもきさせたそうです.

 しかし,そこがかれの,ある意味での真骨頂でもあり,そこに何を,どのように描くかを,粘り強く考え続けていたのです.

 そのキリストの発言から,そのドラマが動き出し,最後の晩餐物語が封切られたのです.

 この様は,まるで演劇を演じているようであり,この動きの流れを,ダ・ヴィンチは,見る人に想像させたのでした。

 当時のフィレンチェやミラノにおいては演劇が盛んに行われていて,ダ・ヴィンチが所属していたベロッキオ工房においても,その舞台装置づくりを請け負っていました.

 この舞台装置に作りにおいて,盛んに用いられたのが,遠近法だったのです.

 レオナルドも,この遠近法を用いた舞台装置づくりや背景の絵画づくりに駆り出されていたことから,その手法を学び,かれが描いた絵の中にも,この高度な遠近法が自然に取り入れられたのでした.

2つの遠近法

 さて,最後の晩餐において採用された遠近法には,2つの種類がありました.

 それは,1)自然の遠近法と,2)人工の遠近法 でした.

 1)では,後部の窓を通じて風景が見えています.

 2)では,屋内の壁や扉などの建具に見え,さらには,それぞれの人物の視線や仕草などに仕込まれています.

 この絵画の大きさは,縦4m,横9mに及ぶ巨大なものです.

 この巨大絵画において,レオナルドは,さらに巧妙な遠近法を仕込んでいるようです.

 この教会の食堂の壁に描かれた「最後の晩餐」の全体像を正しく観察するには,その絵画から9m後方の地点だそうですが,観客のみなさんは,その食堂に入るとすぐに,この絵画を観賞しようとしますので,その位置は,まちまちになります.

 そこへの入り口は向かって右側にあるので,まずは,そこから観た際にも,その遠近法が歪まないように部分的な工夫をしていたのです.

 そして,今度は,その観客が奥に入ってきて左側から観るようになっても,そこに局所的な遠近法を用いて,その立体感覚を巧みに補うようにしていました.

 大きな絵画を,観客が,どこにいても正しく立体的視覚で把握できるようにした,ここまで,かれの遠近法は徹底して洗練されていたのでした.
 
 さて,レオナルドが,その遠近法において最も心血を傾注させたのが,上記の2)の方法です.

 これに関して,その遠近法の焦点は,どこかにおいて,アンザックソンとシュレインにおいては微妙な違いを見せています.

 すなわち,前者は,イエスキリストの額に焦点があるといい,後者は,その右脳にあると指摘しているのです.

 これは,前者が歴史学者であること,後者が脳科学を研究した物理学者であることから,それぞれの視点の相違に由来しているといえそうです.

 前者には,歴史と文学の視点があっても,脳科学の目は存在していません.

 また,後者には,脳科学と物理学の視点が備わっていても,歴史的な絵画論,芸術論において前者ほどに優れているわけではないようにおもわれます.

 ここが,読み比べのおもしろさなのではないでしょうか.

 さて,次回は,イエスキリストに向かって左隣にいる「人物」に纏(まつ)わる謎に分け入ることにしましょう.

 その画像を示しますが,その右側の人物であり,これが,男性なのか,それとも女性なのか,これについても上記の両者においては意見が異なっているようです(つづく)。 

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     超精密画像の一部(画像:グーグル・アーツ&カルチャーより引用)