渡辺崋山とレオナルド・ダ・ヴィンチ(4)

 二宮敬作は、伊達宗城公に会って高野長英と渡辺崋山が宇和島に来ていることを告げ、内々に拝謁の了解を得ていました。

 そして二宮敬作ら三人は、別邸にあった茶室で宗城公に面会したのでした。

 「長英殿、久しぶりですな。宇和島を離れて何年になりますか」

 「そうですね。すっかりご無沙汰をしていました。あれから、すでに10年余が過ぎました」

 「風の便りでは、あなたは役人に捕まった時に自害されたときいていましたが、そうではなかったのですね。

 生きていると二宮から聞かされ、驚きました。わが国の宝を失わずに済んだことをうれしくおもっています」

 「真に、ありがたくおもいます。じつは、私を捕らえた役人の父親を救ったことがありまして、その息子に捕らわれたときに、『長英先生、ここで自害して亡くなってしまったことにしましょう』といわれ、危うく自刀(じじん)をおもい留まりました。

 以来、私は、この世にいないことになっています」

 「そうですか、あなたの人生は相も変わらず波乱万丈、うらやましいですね。

 ところで、今回はお連れの方がおられるそうですね」

 「私の心を許すことができる友人で、渡辺崋山といいます。

 かれは、田原藩の家老でした。今は隠居していますが、海防に詳しく、また西洋文化にも明るい人物です」

 「あの蛮社の獄において捕らわれていた渡辺崋山さんでしょう。老中首座の阿部正弘が、かれの海防論に注目し、現地を視察までしたそうではないですか。

 それから画家としても有名であり、かれの作品を観て、一度会ってみたいとおもっていました」

 「今、かれが外で待っていますが、ここの呼んでもよいでしょうか?」

 「そうですか、ぜひともお会いしたいですね」

 長英が、一声かけて、外に舞っていた渡辺崋山を二宮が連れて入ってきました。

 「あなたが長英さんの友人で、あの欧州のルネサンスで活躍したレオナルド・ダ・ヴィンチに因んで、わが国のダ・ヴィンチと呼ばれる方ですか。

 一度、会ってみたいとおもっていました」

 
「いきなりの過分なお言葉に恐縮しております。渡辺崋山ともうします。どうぞ、よろしくお願いいたします」
 
 「すでに、二宮からお聞きのことおもいますが、本日は、宗城様と我が国の外交、海防、そして造詣のに深い西洋文化についてのご所見を窺いにに参りました。

 また、ペリー来航以来の江戸の状況の変化、そして薩摩、長州の動き、とくに、ここに
私の後に招聘された大村益次郎のことなどについてご意見を窺い、議論ができると幸いにおもいます。

 さらに、宗城公は、西洋文化に関して貴重な文献や作品を収集されておられますので、それに関しても語り合うことができるとよいですね

 「そうですか、崋山さんがせっかくこられていますので、まずは、その口火を切っていただきましょうか。

 長英さん、あなたも、何かいいたそうでうずうずしていますが、その後で、よろしくお願いします」
 
 「ありがとうございます。ご厚意に感謝申し上げます。

 ペリーの黒船来航以来、わが国においては攘夷論が盛んに唱えられるようになりました。

 当時の井伊直弼大老は、幕府の方針を明らかにしないままに、逆に、多数の攘夷論者を次々に弾圧し、捕らえて処刑をして、ひどい安政の大獄になりました。

 そのなかには、若き吉田松陰や橋本佐内もいました。

 その後、井伊大老は、ペリーやハリスらの圧力に屈して、天皇の勅許をもらわないままに、屈辱的な日米友好通商条約を結んでしまいました。

 これに対し、徳川斉昭らを中心にした攘夷派は反対を唱えると、井伊は、この水戸派を弾圧したことで、桜田門外の変が起こり、井伊は刺殺されてしまいました。

 これによって徳川幕府の権威は失墜し、対外的には、わが国は清国以上に危険な状態に陥り、国内においても混迷を深めることになりました。

 このことに最も危機感を覚え、素早い動きを見せたのが、吉田松陰の弟子であった高杉晋作であり、かれは、上海を視察して大きく変わりました。

 また、最近になって、長州藩に招聘された大村益次郎が活躍し始め、これが高杉らの動きと連動して勢いを持ち始めています」

 「なるほど、崋山さんは、内外の情勢をよく理解されていますね。長英さん、何か補足することはありますか?」

 「崋山さんが、長州藩の若者の動きに注目されていることに関してはさすがです。

 鋭い洞察といえます。

 やはり、吉田松陰の自分を投げ出しても前に進むという姿勢が、高杉に乗り移ったようで、これに蔵六が結びつくと、これは大きな動きになっていきそうですね。

 高杉という若者は、直観に優れていてみごとに戦略、戦術を臨機応変に変えていくことに長けており、蔵六は、しっかりと西洋の軍事技術を取り入れ、着実に軍隊を強化していくことに優れています。

 どちらが鬼かわかりませんが、このコンビは鬼に金棒といえますね」

 「長英さん、真に的を射た『たとえ』ですね。

 高杉は、上海視察によって、自分が何をなすべきかを悟ったようで、わが国を清国のようにしてはならないと悟ったようです。

 かれは、優れた戦略家であり、長州に戻ってからは、大いに攘夷論を振りまき、それで長州の若手武士をまとめ上げ、幕府の言いなりになっていた長州藩の保守派に対抗していきました」

 「たしかに、あの高杉という侍はおもしろい若者だよ。

 松陰が、あのように立派な若手を育てたことは、すばらしいことです。

 わが藩にも、あのように元気な若手がいたら、さぞかし、にぎやかになっていたことでしょう。

 そういえば、あの高杉は、蛤御門の変で長州の攘夷派が壊滅した時に、一早く長州藩の保守派から逃れて、わが藩の近くに隠遁していましたよ。

 それを匿ったのが四国の豪商であり、どうも高杉という男は、商売人に気にいられているようで、下関の豪商の白石正一郎も、その一人のようですね。

 その白石は、高杉が上海から返った後に、清国の反政府組織の義和団を参考にして奇兵隊を結成しましたが、その資金を工面しました

 やはり、商売人は、武士よりも人を観る目がありますね」

 「さすがです。この間の動きを正確に理解されていて驚きました。これで、長英さんを密かに宇和島に招聘された理由がよくわかりました

 「長英先生は、この宇和島で真にすばらしい仕事をなされ、若い侍の教育にも小さくない貢献をしました。

 私も、かれからの報告が上がってくるのを楽しみしていました。

 残念なことに、西洋の文献や品物を集めても、それを素早く、そして正確に理解できる部下がおらず、宝の持ち腐れになってしまうのではないかと心配していたところに、この酒飲みの二宮がやってきて、長英先生を密かに雇ってみたらどうかといってきたので、迷わず了解しました」

 二宮が、恐れ入りましたという表情を浮かべながら、宗城公に感謝を表しました。

 「おかげで、長英は、西洋の軍事技術に関する翻訳をすべて終え、それらを踏まえて、深浦に砲台を立地する計画書の作成までを行いました。

 そして、五岳堂において若い侍を教育し、後に評判となる学則を認めました。

 もちろん、私にとっても長英は、鳴滝塾の後輩であり、宇和島に長い間暮らされていたイネさんとも親しく交流できました。

 これらが、長英による仕事と遺産であり、そのおまけとして、私は存分に長英と楽しい酒を酌み交わすことができました。

 崋山さん、あなたが描いた虎の尾の絵画があるでしょう。

 ここには、あなたの描いた絵よりもずっと前に創業した酒屋があり、その一番の酒が、なんと『虎の尾』なのです。

 長英も私も、この『虎の尾』を愛飲し、酔いつぶれていました」

 「二宮さん、長英さんがあなたと一緒に酔いつぶれていたことは聞いていませんよ!」

 「二宮よ、余計なことはいうな!それでは、俺が飲んだくれになってしまうではないか」

 「その通り、わしもお前も、正真正銘の『飲んだくれ』ではないか!」

 宗城公は、この様子を笑いながら見ておられていましたが、その間に、その「虎の尾」と共に、宇和島の生きのよい「鯛の刺身」と「じゃこ天」が出されました。

 この銘酒と名物のせいもあって、この4人の談義は、いよいよ佳境を迎えることになりました。

 その口火は、宗城公の次の問いかけによって切られました。

 「ところで、長英先生、これから、幕府と長州藩の関係は、どうなっていくのだろうか?
高杉らの奇兵隊と蔵六の動きが気になるのだが・・・」

 長英は、虎の尾をぐいと飲み干して、待ってましたとばかりに、姿勢を正しました。

 次回は、その佳境のなかに分け入っていきましょう(つづく)。

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人物愛虎図(虎の目、渡辺崋山)