会長からのメイル

 昨年末、N学会Y会長からメイルが届きました。

 それによれば、昨年12月4日に、H先生が他界されたそうで、その追悼文の執筆依頼がありました。

 先生とは長い付き合いで、とくにN学会においては、会長と副会長とい仲でもあり、苦楽を共にすることができました。

 先生は、京都大学の経済学部修士課程を修了され、その後塾の講師を経て、K高専の一般科目の先生として教鞭を取られました。

 専門は、人文・社会、教育学、科学技術学、社会思想史などであり、それらを基礎として高専における一般教育のあり方に関して優れた研究を重ねられてきました。

 周知のように、高専は、中学校の卒業生が入学し、5年をかけて技術者教育がなされていく課程であり、そこでの教養教育のあり方が鋭く問われていました。

 今日の高校では、大学受験のための人文・社会の基礎が教えられ、その高校生が大学に入れば、その1年で大学教員による思い思いの教養教育がなされるという具合で、系統的で豊かな教養教育とは、ほど遠い内容を有していました。

 これに対して、高専では、かれらが15歳から20歳になっていく過程で大人になっていくことから、その大人化に向かうなかで、それにふさわしい教養教育とは何かが、実践的に問われることになりました。

 幸いにも、H先生の一般科には、錚々たる教員が揃っていましたので、かれらが知恵を絞り、工夫を凝らして、高専における独自の教養教育を創造していったのでした。

 なかでも、高専3年生のカリキュラムのなかに「特別研究」という授業がなされるようになり、この実践が非常に重要な意味を持つことになっていきました。

 毎週1時間、すべての一般科目の教員が担当し、1年間を通して、調査と研究、討議、発表を行うという授業であり、そのテーマは学生自身決めさせ、それを教員が補佐、支援していくという、いわば学生自身の主体性と創造性を誘起させる授業を行ったのでした。

 H先生は、その中心メンバーの一人であり、その教育実践が年々発展し、貴重な成果を生み出していったことを毎年、N学会において発表され、その学会誌に論文として発表されてきました。

 この「一般特研」の特徴は、次の4点にありました。

 1)一般科目の教員全員が一斉に取り組み、その発展に寄与した。

 2)あくまでも学生が主体的に研究を行い、教員は、その補佐と支援に徹した。

 3)1年間という長いスパンにおいて、それに取り組む学生の持続的な創造性、探究心を引き出し、それに火を点けた。

 4)その実践において、学生たちが目に見えるように成長し、立派な成果を産み出した。

 これらの様子が、単行本『探究心に火を点けるー授業「特別研究」の挑戦』木更津高専一般教育研究会編、2005年に詳しく紹介されています。

 1)については、高専の一般科においては、人文社会系と自然科学系の教員がいて、それらが協力して全員で教育を行うという事例はなかったことから、この実践は、全国に先駆けての新しい授業実践というユニークさを有していました。

 2)については、高専生が青年から大人になっていく過程のちょうど中間的な年齢において、受験勉強という弊害に染まることなく、自由に、そして人文に自分の好きなテーマを探究していくという教育的導きが、かれらの成長を上手い具合に成長させたのでした。

 3)一旦、この探究心に火が点くと、高専生は、どこまでも、それを究めていくようになります。

 その様子が教員にとっても非常におもしろく、ますます、その補佐と支援に熱を入れるようになり、ここに高専生と教員の好循環が幾重にも形成されていったのでした。

 4)その結果として、特研を行った学生たちが、その途中から、それからそれを終えた後からも、みごとに成長し、それが、教員たちの予想を超えるという想定外のことがいくつも起こるようになったのです(詳しくは後述の予定)。 

 「N学会の重要な柱になっていった」

 こうして、H先生ほかのみなさんによる「特研」の成果が次々に発表されるようになって、多くのみなさんから注目されるようになりました。

 これは、5年一貫という受験勉強のない高専の長所を巧妙に活かした教育実践であり、これがN学会における重要な柱の一つになっていきました。

 当初の高専は、大学に準ずるという過度な詰め込みカリキュラムを強行していたことから脱して、高専ならではの優れた長所を編み出していったことが、K高専だけでなく、少なくない高専から注目を集めることに結びついていきました。

 この実践の発展に関する優れた理論化が、H先生によってなされていきました。

 次回は、そこに分け入っていくことにしましょう(つづく)。

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              国東市岩戸寺の碑文