荒野を進む若者たち(藤井聡太の場合)

 閉塞から混迷、破綻をし始めている世界と日本の暗い世相のなかで、ひときわ輝いて活躍されている代表的な若者の一人が、藤井聡太棋士です。

 「一隅の灯」とは、真っ暗闇のなかで、一隅を照らし出す灯りのことです。

 それが、続いていくと、いくつもの灯りが点るようになり、この世のすべてにおいて光を灯すようになるという仏教用語のようで、近くにある岩戸寺の境内の石碑にも、この言葉が刻まれていました。

 今回は、徒然に光マイクロバブルの記事の100回記念にあたり、それにふさわしい記事として、彼のことについて、やや深く分け入ることにしました。

 すでに五冠を獲得し、その勝ちっぷりを見せつけて、もう誰れも彼に勝つ者はいないのではないかとさえいわれるようになりました。

 かれは、14歳で史上最年少で4段になり、その無敗のまま勝ち続けて、史上最年少で29連勝という大記録を達成しました。

 その後も、ひたむきに研鑽を重ねて今や5冠を達成、これから羽生七冠の記録を次々に更新していく勢いで勝ち進んでいます。

 先日の竜王戦は、対戦相手の広瀬8段には4勝2敗でタイトルをみごとに防衛しました。

 これを第二戦から、AMEBAの中継で、すべて拝見しました。

 なにせ、一局の対戦において持ち時間の8時間を使いますので、序盤は、比較的早く、そして中盤ではじっくり時間をかけて長考し、最後は、持ち時間を気にしながら、上手に指していくという「将棋の流れ」を知りました。

 これを最初から追っかけ、その都度解説を聴きながら、その局面を理解していくのですから、こちらも、それなりの覚悟、理解力、視聴するペース配分などを考えながら臨む工夫が必要でした。

 なにせ気に入ったのは、このブログ記事を書きながら、その合間に、この対戦を視聴するというスタイルであり、気分一新、退屈しのぎ、やる気更新などにおいて、藤井棋士、広瀬8段の頑張りが、非常に励みになりました。

 おかげで、最新の角換わりの戦法、藤井曲線、飛車捨ての妙手、最後の読み切りなど、その闘い方を、やや詳しく学ぶことができました。

 この緊迫した対戦において非常に興味深く感じたことの第一は、人同士が戦うわけですので、その戦局が複雑になっていくと、互いに読みが及ばないところが出てきて、そこでは直感を働かせて打つしかない、という局面が何度かあることでした。

 この直観が、図抜けて優れているのではないでしょうか。

 最近は、その視聴する画面においてAI診断の結果も出ていますので、そこでは何百億手も考え抜いた次の一手が予想されて表示されています。

 藤井棋士の場合、このAI予測の通りに指していくことが多く、その限りでは、AI将棋に則しているのですが、時に、AIの予測手と違う指し手を行う場合があります。

 その指し手が、ほとんどの場合、勝負手となることが多く、これによってAI超えとなり、そこから藤井曲線が増大していくようになっていきます。

 また、この勝負手を指す前には、対戦相手の方が、必ずといってよいほどに、十分に良い手を打つことができずにいることが多く、その相手のミスや弱点を衝くことに非常に優れている、これが強い理由ではないかとおもわれます。

 その第二は読みの深さにあります。

 こう打てば有利になる、という読みとともに、こう打たれたら負ける、ということをよく理解して打つことに長けています。

 そのことが、毎回の感想戦においてリアルに吐露されて、対戦者や周囲の関係者をしばしば驚かせています。

 とくに、この特徴が現れるのが終盤に入ったところで、残りの持ち時間が約1時間前後のころです。

 ここで、藤井棋士は、比較的に時間をかけずに差し込んでいきます。

 ところが対戦者の方は、より時間をかけて読むようになり、そのために時間を要して、逆に持ち時間を無くしていくというパターンになり、藤井棋士とは、その時間の使い方において好対照を示すようになります。

 そのことが、最も顕著に現れるのが最後の詰めの場面であり、ここで、たとえば飛車捨てがなされ、それによって一挙に局面を詰めへと導いていきます。

 竜王戦のだい5局において、その解説者が「おもしろい詰め」の話をしていました。

 それは、最も強い棋士の勝ち方は、相手に攻めるだけ攻めさせて、もう、どうしても勝てないという局面まで誘い込んでから、相手を詰ます方法だそうで、その勝ち方がみごとに示されていました。

 その解説者も、感心していて、とても私には指せない将棋だといっていました。

 第三は、なぜ、このような読みと最強の詰めができるようになったのか、この本質問題です。

 これは、幼いころから、投げて打つという大谷翔平の二刀流を、世界一のアメリカメジャーリーグで開花させたことと共通の本質性があるようにおもわれます。

 この大谷の100年ぶりの歴史的快挙、そして藤井聡太の新人29連勝、その後の5冠獲得、さらには、8冠という全冠制覇の可能性を窺わせる棋風と姿勢における、その共通性とは、いったい、どのようなものなのでしょうか?

 ここに、日本や世界の若者たちが、学ぶべき最大の命題があるようにおもわれます。

 もちろん、これは、若者だけに限らず、私たち年配者にとっても、同じ性質の重要で本質的な課題といえます。

 この大志なくば

 おそらく、幼いころの大谷選手や藤井棋士は、野球好き、将棋好きだけの子供だったのではないでしょうか。

 しかし、それにらに慣れ親しむことによって、二刀流の素晴らしさ、ここちよさを知り、プロ野球選手になることを夢見るようになっていったはずです。

 また、藤井棋士も、将棋が好きになり、勝ち進むことに、ここちよさを覚え、プロ棋士になるための階段を上っていこうとおもうようになっていったのではないでしょうか。

 それらには、「プロ野球選手になりたい」、「プロ棋士になりたい」という大志があり、それが、実践の積み重ねによって、より確固とした「大志」へと進化を遂げていったようにおもわれます。

 この「大志」というものは、どのようにして遂げられていくのでしょうか。

 その見事な先例が、この二人によって、私たちの目の前で、実践的に、みごとに可視化されていることに、私は、この上ない感謝の念を覚えています。

 その考究において、まず、最初に指摘しておかねばならないことは、この若者たちが、未だ成長の途中にあり、その成就が初期段階にあることです。

 中国の諺を借りていえば、登竜門を通過したばかりであり、これからいくつもの「青春の門」を越えて本殿をめざす途上にあるのです。

 その道は、道なき道であり、荒野のようなものです。

 その大志がなくば、この荒野の先にあるいくつもの門を潜り抜けていくことができないのです。

 そのために、かれらが抱いてきた大志をより確かなものして、目の前に迫る荒野を乗り越え、幾多の闘いに挑んでいかねばならないのです。

 おそらく、自分が進化して、よりスケールの大きい、しかし、より細心の心使いができる人物でないと、この戦いの荒野を進んでいくことができないのではないかと推測しているはずです。

 それは、自己における鍛錬と洗練の課題とより密接に関係していく問題といえそうです。

 次回は、それらの課題について、よりふかく分け入ることにしましょう(つづく)。

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