師走を迎えて

 明日からは師走、今年も脱兎のごとく過ぎようとしています。

 この冬は、意外と寒波が押し寄せて来ないのでしょうか?

 室内もかなりの断熱効果が発揮されているようで、やや過ごしやすさを感じています。

 さて、今月も末日を迎え、恒例のガイダンスを行っておきましょう。

「素晴らしき哉、LEMB人生(5000回記念)」

 幸いなことに、本記事も5000回という大台に突入することになりました。

 「よくぞ、毎日、続けて来られたものだ!」

と、我ながら少々の感慨を覚えています。

 この記念シリーズをどのようなテーマで執筆したらよいか?

 その思案にしばらくの時間を費やしました。

 そして、「ここは、光マイクロバブル(LEMB)の人生そのものに分け入るのがよいのではないか」、という「おもい」に至りました。

 教員をしながらの学究生活で38年、その後国東にきて民間会社に勤めて10年、この四半世紀における後半は、光マイクロバブルと共に過ごしてきました。

 ささやかながら、この人生において、あのジェームス・スチュアート主演の映画『素晴らしき哉、人生』のことをおもいだしました。

 それを念頭にして、私のLEMB人生を紹介していくことにしましょう。

 これから、執筆する予定の第二回のテーマは、「自由の王国」についてです。

 自由を、どう受容し、どう発展させていくのかについて、よりふかく分け入ってみたいとおもっています。

 かつて、松尾芭蕉は、人生の最後としてが奥の細道に旅立ちました。

 かれは、その旅のなかで自由の王国に分け入り、その素晴らしさのなかに自らを委ね、本当の自由を味わいたかったのではないでしょうか?

 「しずかさや 岩にしみいる せみの声」

と歌うかれの心には、自由もしみいっていたのではないでしょうか! 

 私も、そんな気分になって、自由に光マイクロバブルの世界を旅してみたいとおもいます。

 読者のみなさま、このシリーズも長い旅路になりそうですので、どうか、よろしくお付き合いください。

 「渡辺崋山」考(4950回記念)

 せっかく探究を始めた「渡辺崋山考」ですので、それを、もう少し分け入って考えることにしました。

 そのために、崋山は、獄中にいた高野長英からの密書によって励まされ、自害を止めたことにしました。

 そこから、長英と共に20年を生き抜いたという仮説を想定して、かれらの生涯を考え直しました。

 片や日本のレオナルド・ダ・ビンチになる人だったといわれ、もう一方は、医者でありながら、日本で最初の哲学者となり、優れた軍事技術者でもありました。

 そのかれらが、どのように維新という胎動を準備し、孵化していくことになったかを探ってみたい、とおもいました。

 そして、この卓越した巨星の二人が、どう融合し、それぞれの発展を遂げていったかを探究することは、大変興味深いことではないかとおもいました。

 日本人としての先輩の素晴らしさを見出していけるとよいですね。

   「老いの覚悟と生き方」
 
 作家の森村誠一さんは、私よりも15年先輩です。

 かれによる、2011年の東日本大震災を受けての老いの覚悟』以来の一連の著作に励まされています。

 その後、『老いのエチュード』(ハルキ文庫)を買い足しました。

 おそらくこれで、かれの「老い」シリーズにおけるほとんどの著作が揃ったことになります。

 これから、それら「森村老いワールド」を読みこなしながら、私の「老いの覚悟」、「老いの意味」、「老いの正体」を探究していくことにします。

 かれによれば、私の年齢は「年中組」のなかにあるそうです。

 私が、次の「年長組」に至るまでには6年余があり、その間に「私の老いの研究」において一花咲かせることができるとよいなとおもっていますので、その間は、このシリーズを継続していくことになるでしょう。

 これもロングランシリーズになりそうです。

  「須らく雫の石を穿つ如く(4900回記念)」

 この言葉に、高野長英の学者精神の真髄が裏打ちされているようにおもわれます。

 かれは、学問をしたいために、親に黙って兄と共に江戸に出て、夜は按摩をしながら生計を営み、そして、その兄が病気になると、親には頼らず兄の分まで働いて看病を続けるという、たくましい自活精神の持ち主でした。

 その後かれは、兄に「末後の水」を飲ませ、シーボルトが開いた長崎の鳴滝塾に弟子入りしました。

 そこで、シーボルトからはクジラの研究をせよと命じられ、それが人体の研究と変わらないことに気づかされ、さらには、鯨油が外交において重要な商品であることを知りました。

 優れた師の下で必死に勉強したことで「ドクトル」の称号を与えられました。

 その後もますます研鑽を重ね、圧倒的に多数の論文を書き続けて、シーボルトの厚い信頼を得ていきました。

 そのまま学問を積み重ねていけば、長英は、日本を代表する医者・学者になっていたはずでした。

 しかし、突如としてシーボルト事件が勃発し、逃亡を余儀なくされました。

 それでも、かれは、学究の道を歩み続け、重罪人として永牢の身となっても、牢名主となって論文を書き、世に発表し続けたのでした。

 その姿勢は、脱獄後にも貫徹され、秘密裏に宇和島藩に招聘された際には、塾を開講し、その塾生たちに示した「学則」の最初に、この言葉を記したのでした。

 こうしてかれの人生を振り返ると、学問をめざし、必死で「蛍雪の功」を為していったことが、この言葉に具現し、集約されていったのではないでしょうか。

 この学問の精神を、どう学び、どう身につけるのか、そして、それをどう花開かせるのか、これらのことを、長英の生き様が問いかけているのではないでしょうか。

 そのことを考えながら、このシリーズを続け、「石をも穿つ」活路を見つけていく所存です。 

「OIだより(4800回記念)」
 
 このシリーズを執筆していて、「真実や真理は細部に宿る」という言葉をよく思い浮かびます。

 小さく細やかな大成研究所での営みですが、そこに新たな真実や小さくない真理が潜んでいるのではないかとリアルにおもうことがあります。

 それらの発見や新たな理解が得られるときには、最初に、決まって、ほんのわずかしか見えない、かすかな理解に留まる、ことが多いようです。

 本当は、その全体像が観えているにも関わらず、その発見や理解がわずかにしか進んでいないことが、そのように観えさせる、考えさせてしまう、という現象ではないでしょうか?

 それが、ふしぎな未知のものであればあるほど、そして偉大であればあるほど、さらには、常識はずれで奇想天外であるばあるほどに、それは観えにくく気づきにくい、最初の理解が難しいようです。

 真にふしぎであり、じつは幸いなことですが、この研究所の活動が深まることによって、その真実が「ちらっ」と観えてくることが、やや増えてきたようにおもわれます。

 こんなときは、密かに心を躍らせながら、その科学的な探究を深め、たしかなものにしていこうとおもって、その基礎的な学習や理論化に努めています。

 さて、このシリーズで最初に取り上げてきたのは「光マイクロバブルの植物活性」に関することでしたが、これを粘り強く連載し続けています。

 そのおかげでしょうか、このテーマに関して、真に魅惑的な事実が寄せられるようになってきて、この探究が今しばらく続いていくのではないかと推測しています。

 その新たな真実を見出すことは「奇」であり、その理解を得ることは「妙」です。

 そして、それを確かなものにしていくことは「喜」でもあります。

 この奇、妙、喜を大切にしながら、この執筆に挑んでいくことにしましょう。

 「緑砦館物語」と「さわやかロハス生活(4600回記念)」

 この秋における第二次の苗作りができてきて、これから緑砦館(GFH)1のAレーンに、それらを移植していくことが始まりました。

 すでに、緑砦館2と3においては、秋植えの野菜たちが成長してきていますので、それらを収穫して味を楽しむ機会が増えています。

 趣味と研究を兼ねた光マイクロバブルの野菜作り、そして、それを賞味して楽しむ、この二重の意味のロハス生活が進行中であり、これからも、その新鮮野菜の記事を認めていきましょう。

 以上で、今月のガイダンスは終わります。

 みなさま、冬の寒さに負けず、何かと忙しい、明日からの師走を元気にお過ごしください(つづく)。

huki20221128-1
フキの花(裏の通り)