自由の王国で

 ここ国東における約10年の生活を経て、近頃は、私なりの「自由の王国」に足を吹入れ始めたのではないかとおもうようになりました。

 それは、いったい、どんな王国なのでしょうか?

 私が若いころには、定年退官を迎えられた事務職員の方が、最後に別れの挨拶をするときに決まって発っせられた言葉が、

 「これからは、晴耕雨読の生活をします」

というものでした。

 晴れた日には、畑に出て農作業を行い、雨の日は好きな読書に浸る、なんと豊かで素晴らしい生活ではないかと想像していました。

 はたして私は、

 「そのような淡白な生活を、楽しむことができるのであろうか?」

と想いにふけったことがありました。

 かれらは、まじめに決められたことをきちっと行い、仲良く働くことをモットーにした方々でしたので、それから解放されることの象徴的スタイルが「晴耕雨読」だったのかもしれませんね。

 それから、だいぶ時が過ぎていきました。

 50歳代後半になって、あと数年で定年退官を迎えるころになると、その定年後の身の振り方を、よりまじめに考えるようになりました。

 幸いなことに私は、1995年に、今でいう光マイクロバブル技術を、初めて世の中に公表することができました。

 この時が47歳でした。

 すでに、

 「何とか、極小の気泡のみを発生させたい、どうすれば、それが可能になるのか?」

とおもいながら、約15年もの悪戦苦闘の開発の歳月が流れていました。

 この光マイクロバブル技術が、最初に本格的に試されたのが1999年から始まった広島湾におけるカキ養殖改善でした。

 カキ養殖に関しては、純粋に素人ながら、現場で漁師の協力を得て、その養殖法を教えていただきながら本技術の適用を図りました。

 人生とは、ふしぎなもので、ここから、それが、今想えば、どんどんと変わり始めたのでした。

 その主役はカキでした。

 周囲の筏のカキが、新種の赤潮によって次々と斃死し始めたなかで、光マイクロバブルを与えたカキのみが、斃死するどころか、それを撥ね退けてみごとに成長して大きくなっていたからでした。

 その原因は、光マイクロバブルによるカキの生理活性作用にありました。

 「光マイクロバブルには、そのような作用があったのか!」

 すでに、その少し前に、簡単な実験によるヒトにおける血流促進作用を見出していましたので、それとそっくりの現象をカキにおいても発見したことから、

 「もうこれで間違いない!光マイクロバブルは、生理活性、生物活性作用を有しているようだ!」

とおもうようになりました。

 「水と空気だけの小さな気泡が生理活性を産み出す、なぜか?」

 この時から、その探究が本格的に開始されたのでした。

 これは、今想うに、その「自由の王国」への入り口の扉を叩くことを意味していました。

2つの道の選択

 しかし、この扉叩きは、同時に、それまでの研究であった「壁乱流」からの離反を促していたのでした。

 「壁乱流の秩序構造」に関する研究は、私に始まり、共同研究者の当時の助教授、助手にまで広がり、幸いにも、共に学位を取得するまでに至りました。

 私どもの世界では、学位を取得すると研究者として自立していくと一応見なされますので、まずは、私自身の、その後が問われたのでした。

 それは、壁乱流の秩序構造を新たに発見していくのか、それとも、光マイクロバブル発生装置を連続して開発していきながら、その技術的適用と普及を図っていくのかという道の選択問題に帰結していきました。

 前者は、科学的な認識の問題であり、後者は、実践的な開発研究とその具体化および社会化に関することでした。

 この選択の識別は、その実践を積み重ねることによって自然になされるようになりました。

 私は、若いころによく唄った「若者たち」や「青年は荒野をめざす」が未だに好きで、よくそのフレーズを口ずさむことがあるのですが、その若者や青年が、なぜ、未来に向かって進んでいこうとするのでしょうか?

 おそらく、それがおもしろいからであり、魅力あるものがあるからではないかとおもいます。

 私の場合は、すでに若者の歳を過ぎていましたが、乱流の研究よりも、光マイクロバブルの方がおもしろく感じ、魅力に溢れるものだとおもったからで、一人で、この選択の道に歩を進めることにしました。

 今思えば、これは「自由の道」への選択であり、これができたことは真に正解であった、といえます。

 この歩みにおける自由さは、その後の光マイクロバブル研究の発展に小さくない影響を与えることになりました。

 いわば、「光マイクロバブルにかけてみよう」という「大志」が徐々に実り、一つの花を咲かせるようになりました。

 それが「一花」であっても、すばらしいことになったのは、それが日本はおろか世界中に広がって花開いたことでした。

 学者や技術者の誰しもが、自分が産み出したものを多くの人々が普通に利用し、その成果を分かち合い、その輪が世界中に幾重にも拡大していくことをめざし、その営為を喜びとしています。

 その大事業の引き金となり、これまで、その隊列に参加できたことには小さくない意味と感慨を覚えています。

 次回は、この自由の道を、さらにその後、どう進んできたのかについて深く分け入ることにしましょう(つづく)。

tinn20221130-1
チンゲンサイの発芽(プランター、緑砦館1)