渡辺崋山とビンセント・バン・ゴッホ
今回の記念シリーズのテーマを採用する際には、それがなかなか見出せずに、やや困ったまま、その期日から過ぎてしまうということが起こりました。
折しも、どういうわけか、若いころに買っていて、少しも読んでいなかった『渡辺崋山 思想と芸術』が見つかり、それを前の書斎から持ってきて机の左端に積んでいたことが、その「きっかけ」になりました。
まず、最初の数ページを紐解いてみましたが、これでは崋山という人物像が見えてきませんでした。
ーーー どうしようか、はたして記念シリーズのテーマになりうるのか?
こう逡巡しながら、もっと崋山の情報を集めてみようとおもうようになり、前述の3冊を入手して読みこなしました。
まず、崋山が「日本のレオナルド・ダ・ビンチに成れる人だったかもしれない」とまでいわれていたことを知り、その絵画をじっくり観察してみました。
それらに接してみると、その予言は正しかったのではないか、とおもえるようになりました。
貧しい武士の家に生まれ、それこそ貧乏と同居しながら、生活の糧のひとつとして絵を学び、たくさんの「金になる絵」を描き続けたのです。
当時の絵画の主流は南画でしたが、自ずと、それには馴染まない「写生画」という新たな画風を確立していったのです。
その金になる絵画の対象が、大衆や人物像であり、崋山は、その依頼者の求めに応じて、絵を描き続けたのです。
この貧しい大衆を画材にして絵画を書き始めたことは、ゴッホとよく似ています。
かれの場合、オランダからパリに赴くことによって画風が一変しますが、それに強い影響を与えたのが日本画でした。
そして、かれは、パリから南フランスのアルルに移り住み、そこで、あの独特の色彩と構図の絵画を無心になって描き続けました。
残念なことに、崋山とゴッホが生きた時代は重なりませんが、崋山が、自殺を止めて、もっと長く生きていたら、その絵画がゴッホに直接影響を与えていたかもしれません。
ゴッホは、崋山が逝ってから12年後に生まれています。
ここで、両者の画風がよく似ている画像を紹介しましょう。
麦畑とカラス(ゴッホ)
四州真景図巻(渡辺崋山、「原色日本の美術」より引用)
上図は、ゴッホが命を絶つ直前に描かれた絵であり、麦畑にカラスが飛ぶ不吉な景色ですが、真ん中の道の先には明るい空が描かれていて、それがゴッホの希望ではないかと評されています。
一方で、下図の四州真景では、ほとんど同じ構図で、放牧された馬たちが、のんびりと草を食んでいる様子が描かれています。
中央の道を歩む人々の行方には何があるのでしょうか?
道の向こうには、遠くに山々があり、この道程は延々と続いていくようです。
ゴッホの作品には線がなく、色の変化と濃淡で事物を描いていく手法であり、崋山の方は、巧みな線による描法という違いがありますね。
しかし、「色の妙」と「線の妙」という違いはあっても、いずれも、すばらしい表現ではないか、とおもわれます。
このように、崋山の絵画は、ゴッホそれとも甲乙つけがたい域に達しており、その真骨頂が人物画(詳しくは後述)として、さらに発展し、レオナルド・ダ・ビンチに匹敵するといわれたことには少しの無理もないようにおもわれます。
この二人には、赤貧に喘ぎながらも、ひたすら絵を描き続けることで、画家としての心と腕を磨き、洗練させたことにも、重要な共通性がありますね。
こうして崋山のすばらしさを知り、本記念シリーズにおける4950回のテーマに選んでよかったとおもいました。
昨日は、次の崋山に関する文献が届きました。
⑤人物叢書『渡辺崋山』 佐藤昌介(著) 日本歴史学会編集 吉川弘文館
引き続き、これも読み込んで、よりふかく、より豊かに崋山論を展開していくことにしましょう(つづく)。
コメント