老いの「意味」(4)

 森村誠一(著)の『老いの意味』を、再三読み返しながら、私も含めた「老いの意味」を考え、そして、その実践を可能な限り進めています。

 この著作によって、何よりも励まされたのは、「老人性うつ病」や「認知症」は、その回復の努力しだいによって改善が可能であることを学んだことです。

 世の中におけるこれらの事例を眺めて、あるいは聞いてみて、一旦、それらの病気になると二度と改善することはないのではないか、とおもい込んでいました。

 しかし、それは浅薄な固執でしかなく、それをブレイクスルーしていただいた著者とその著作に深く感謝しました。

 これから、何かの具合で、それらの病気に陥ってしまうことがあるのかもしれません。

 その時には、著者のように可能な努力を積み重ねていくなかで、やがては回復という希望に到達する可能性があることを知り得たことは、本読書における最大の収穫となりました。

 森村さんは、長身で大柄な方ですが、それらの病気によって食欲がなくなり、一時期は体重が30㎏台にまで減少し、遂には流動食しか食べることができなくなったそうです。

 それでも、執筆という仕事を放棄したことはなく、短いエッセイや詩を書こうと努力したことが重要な作用効果をもたらしたようです。

 短文や詩であれば、文章を連ねる必要がなく、その時の思考や感情を短く言葉にすればよかったのです。

 かれは、若い頃から詩を読むのが好きだったようで、これまでの膨大な著作のほとんどに、彼独自の詩情が随所に散りばめられています。

 代表的な著作のひとつである『人間の証明』の冒頭に出てきた西条八十の詩は、みごとなストーリーの出だしとなりました。

 また、老人性うつ病と認知症との闘いのなかで生まれ、その回復と共に『永遠の詩情』という詩集を書き上げられたそうで、これを早速、アマゾンで取り寄せることにしましょう。

 「作家が書けなくなることは、生きた化石になることだ!」

 これが、かれの心情であり、その困難な病気を抱えながらも、その化石にならないという覚悟を持って、老いと闘ったことに、かれの意志の強さと不屈さがあったのではないでしょうか。

残りの半生を「誉生」にしよう
 
 この『老いの意味』のなかで重要なキー・ワードのひとつが、「誉生」です。

 かれの作品のなかで、この言葉が最初に使われたのは、2006年12月に発刊された『誉生の証明』ではないかとおもいます。 

 これは、スキー場に向かうバスの事故で危うく死にかけた男女4人と女性弁護士の5人が、新たな人生を共同で歩み、戦う物語であり、それを「余生」ではなく「誉生」として再認識しようとしたのでした。

 かれらが立ち向かった相手は、新興宗教の怪しい組織であり、警察や軍隊までが背後にいましたので、これらの得意技を生かしてのユニークな戦いぶりが、真に痛快で、ゆかいに拝読したことをおもいだします。

 当時の著者の年齢は73歳前後であり、知恵と機知に富んだ第一線の推理小説家として活躍されていました。

 2006年といえば、拙著『マイクロバブルのすべて』を上梓(じょうし)した年でもありました。

 その後、何度か続編を認めようとしたのですが、それを成就(じょうじゅ)することができませんでした。

 先日、ある若手が訪ねて来られた際に、「ぜひ、続編を書いていただきたい!」という要望がありました。

 そろそろ、この要望に応える頃になってきたのかな、ともおもっていますので、せっかくの、この提案を前向きに受け止めてみるのもよいことですね。

 さて、「誉生」の話に戻りましょう。

 森村さんが『誉余の証明』を上梓したのは、今から16年前のことです。

 当時は、団塊の世代が60歳前後であり、そのほとんどが現役として活躍されていた時代でした。

 当時の平均寿命は、男で78.5歳、女82.5歳でした。

 現在は、それらが82.5歳と87.6歳にまで延びました。

 2000年代初頭までいわれていた「人生80年」が、今や「人生100年」という指摘がなされるようになりました。

 しかし、ほとんどの勤労者の定年退職は、60歳代前半に留まっていますので、それからの20~30年をどう過ごすのか? いわば「第2の人生を、いかに過ごすのか」が小さくない問題になってきたのです。

 その期間は、「半生」ともいってよく、かつては余生だったはずが、「半生として生きていく」ことを余儀なくされるようになりました。

 この「半生」を、「余生として無気力に過ごすのか」、それとも「誉生として過ごすのか」が本格的に問われるようになってきたのです。

 こうなってくると、「老いを覚悟」し、「老いの意味」を考えていくなかで、「老いの誉生」を「どう生きていくのか」を、より真剣に考えざるをえなくなったのです。

 当然のことながら、作家の森村誠一さんの「誉生」は、ますます大衆が読み、感動する小説を認め続けることであり、それを自らの「老人性うつ病」と「認知症」にかかりながらも、それを全うし続けることでした。

 この人生の先輩としての教訓を学びながら、私の場合の「誉生」とは、光マイクロバブル技術を探究し、その成果を世の人々のために役立て、普及させる営為を遂行していくことです。

 約10年前の退職時に、この意志を確かめ、その準備と実践を行ってきました。

 光マイクロバブルの科学と技術に関する学問的地平は、想いも及ばないほどに広く、予測もできないほどに奥が深いものでした。

 また、それらの新たな発見の度に、その優れたすばらしさを認識させられたことにも大きく励まされてきました。

 それゆえに、ますます光マイクロバブルの科学と技術を探究し、その成果を踏まえて実践を積み重ねていくことを可能なかぎり「私の誉生」としていきたいとおもいます(つづく)。

kazann20221018-1
四州真景図巻(渡辺崋山、『原色日本の美術』より引用)
(ゴッホの麦畑の構図と遠望を想起させられる)