地場産業づくり(2)
本訪問者の要望は、最近の私ども(㈱ナノプラネット研究所、㈱ナノプラネット・大成研究所)の取り組みに関する情報を得たいようでしたので、その直前に、ある研究開発補助金の申請を済ませたこともあって、それを紹介することから始めました。
「私どもは、こちらに来てから、地元の自治体の要望もあって、地元産の貴重な地域資源の再生、そして産業化の可能性について検討を重ねてきました。
この植物の特徴は、ここ国東半島を中心にして、一時は宇佐から大分までの広がりを見せ、その生産額は、今の時価で換算すると数百億円以上の市場性を有しているとみなされています。
それが今では、わずかに年額で2000万円前後、その農家も数名にまで減少し、その事態は、まさに「風前の灯」状態に陥っています。
その理由については、これまでにも何度か解説をしてきましたが、その根本は、現状の困難を打開(ブレイクスルー)する手法を見出せず、展望を失っていることにあります。
しかし、一方で、その需要は、かつてないほどの量には達してないものの一定程度存在していることから、その不足分を外国産で補うことが進んできました。
その結果、ますます、国内産(唯一の生産地である国東産)が先細りして、その需給ギャップが大きく拡大してきたのです。
それでも、地元の農家や関係者の皆様のご尽力もあって、この地元産の植物の品質は高く、その伝統と技術が継承されてきたのです。
それゆえに今でも高品質・高需要という潜在的資質を持ちながらも、それに応じて安定的に供給を行うことができずに、先細りしていったのでした。
とくに、外部から、若い農家が、この植物の栽培に取り組み、その産業化をめざしたのですが、その生産性、採算性を確保できないままに国東から去っていくということまで起こってしまったことから、さらに、その周囲のみなさんも展望をより失ってしまうことになったのです。
この「風前の灯」を消さないようにするには、そして、その闇夜のなかで「一隅の灯」を鮮やかに輝かせるには、そこに「科学の光」を注ぐ必要があります。
「一隅の科学の灯」
この光を放つ「科学の灯」とは、何でしょうか?
ここには、これまでの栽培技術の開発において、そこに科学性を付与することによって、その一灯をかざすことにあります。
この植物は、江戸時代に杵築藩の侍が沖縄から苗を採取してきて、国東半島に普及させていったものですが、それがなぜ衰退していったのか、ここには、その解決ができない深刻な根案がありました。
その困難とは、その農作業労働が非常にきつく、誰もやりたがらない、それを我慢して行うと「寿命を縮めてしまう」と本音が語られていることにありました。
その最も大変な重労働が杭打ちであり、一反に200本近くも打って、そこに網をかけていく必要があり、これを経験したことがある方々が、「二度とやりたくない」と漏らしていたことをしばしば耳にしたのでした。
ここに科学技術の光を射しこむこととは、この重労働を無くし、杭打ちを取り止め、さらには田植えもしなくてよい、即ち誰もが簡単に作業できる栽培方法を新たに確立することでした。
もう一つの問題点は、高需要があるにもかかわらず、それに応じて安定した生産ができていないことにありました。
多降雨、台風、害虫などの被害によって、それを安定して育てることができずに、年ごとに生産量とその品質が大きく変動してしまうことでした。
また、年に一回しか収穫できず、その「一期作」に留まって、それ以上に生産量を増やすことができなかったことでした。
なんとか、この現状を改善できないかと、各方面の方々が二期作に挑んだこともあったようですが、いずれも、それらは十分な成功には至りませんでした。
ここで求められた科学技術的開発とは、その二期作、三期作を実現できる新たな栽培方法を探究することであり、ここにも科学の光によって照らされることが求められていたのでした。
さて、この訪問者は、それらの画期的な開発の結果について、小さくない関心を寄せられ、そこまでの改善が可能になってきたことに少なくない評価をなされていました。
そして、次の質問がなされました。
「問題は、その優れた植物材料をどう加工し、どう商品化なさろうとしているのですか?」
「そうですね。いくら高品質のものを創っても、それが販売できなければ、絵に描いた餅にすぎませんね。
ご心配のほどは、もっともなことですが、すでに、それができた暁には、いつでも購入しますよ、という切望が寄せられていますよ!
当面は、この受注に対応することで精一杯になるでしょう。
それを着実に熟していきながら、徐々に生産量も増やしていきながら、その商品化も多様にしていくことが重要ではないかとおもいます」
「地元の産業として育てていくことも重要ではないでしょうか。その辺は、どう考えられているのですか?」
「ご指摘のとおりであり、この取り組みを発展させて、重要な地場産業にしていくことが重要です。
そのために、まず、その描くとなる、その発展にふさわしい組織化、さらには企業化を検討していく必要が出てくるでしょう。
また、地元の方々との協力と可能な限りの支援をしていくことも非常に重要なことではないかとおもいます。
そこに、ご高齢の方々や若者も広く参画していただき、この国東半島を『誉生の里』にしていくことができるとよいですね」
こうして、議論は、どんどん前に進み、あっという間に予定の2時間が過ぎてしまいました。
「この事業における将来の夢をお聞かせください」
「そうですね。この植物の最大生産量は、昭和30年代において畳表にして、じつに500万枚畳でした。これを今の時価総額にすると、なんと千五百億円に相当します。
これに近づき、実現することが、私の夢であり、ロマンあふれる志です」
この訪問者は、意外にもおもしろく興味深い話を聞かされたそうで、「目から鱗が落ちました」と何度も仰られ、帰り際の挨拶においても、そのことを繰り返されていました。
私の慣用句として「千里の道も一歩から」をよく記していますが、これで、その一歩を踏み出すことができました。
これから、その「第二歩」の準備を用意周到に進めていくことにしましょう(つづく)。
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