秋晴れの朝を迎えて

 コロナのせいもあって、最近は、家の外を出歩くことが少なくなりました。

 しかし、家の中に閉じこもっているのではなく、中庭に出て緑砦館の野菜たちを観察しながらアグリ作業を行うことが多くなりました。

 あと1年で後期高齢者の仲間入り、「老い」だけは確実にやってくるようです。

 しかし、その老いの進行とともに、自由を手に入れることができるようになりました。

 まず、「お金」から解放されました。

 その最も有効な手段は、お金を持たないこと、使わないことです。

 カバンの中の財布には、もしも不都合な起きたら困るので1万円札を2枚入れていますが、これを使う時があっても、私の代わりの購買者に、その金を手渡すだけです。

 こうしているうちに、金に纏(まつ)わる欲がなくなっていきました。

 かつては、1万円札が財布に入っているとなんとなくうれしかったのですが、その思いは完全に消え去りました。

 物が必要になれば、アマゾンで注文すればよい、それがすぐに届くのですから、こんな便利なことはありません。

 国東の向陽台という、コンビニや店が一軒もないところに住んでいますので、アマゾンで注文すれば届けてくれるのですから、この便利さにはありがたみを感じています。

 2つ目は、髪の毛を自分で切る習慣が続いていることです。

 何しろ、20歳のころから、それを始めて半世紀以上も続いているのですから、それをトータルすると相当な節約になります。

 月1回で4000円としますと、1年で4.8万円、それが54年分ですから、合計は約260万円が浮いたことになります。

 最近は髪の毛も少なくなりましたので、家内に散髪してもらい、5分で終了します。

 3つ目は、光マイクロバブル入浴です。

  家内とは、歳をとってからは、温泉に出かけてゆっくり休養しようか、といつも話して楽しみにしていたのですが、それが一向に達成されません。

 なぜなら、我が家の強力な光マイクロバブル入浴に勝る温泉が見つからないからです。

 わざわざ出かけなくても、朝夕、この温泉効果抜群の光マイクロバブルの湯に入ることができますので、それで十分なのです。

 4つ目は、自分で野菜を栽培し、その「うま味」に遭遇していることです。

 これにはアグリ労働が必要ですが、それが楽しく、ここちよい、さらには、その労働の対価として無農薬少肥料の抜群においしい野菜を賞味できる、これは、そこはかとない感激を提供してくれるのです。

 身体を動かし、汗をかく、これは健康を保つ秘訣のひとつではないかとおもっています。

 そして、新たな「うま味」を持った光マイクロバブル野菜への遭遇は、いつも創造の喜びを与えてくれるのです。

 おまけに、植物と直接触れ合う安心感、ゆかいさも湧いてくるようになりました。

 5つ目は、こうして毎日、1500字前後の記事を書く楽しさを噛みしめていることです。

 この効用は、文字にして、そして文章にして初めて深く、その本質が認識できるようになることです。

 頭の整理と共に、より深い洞察が、その可能性を高めているのかもしれません。

   以上のように、お金からの解放、散髪の自由、光マイクロバブルの伸び伸び入浴、ロハスの光マイクロバブル野菜生活、ゆかいなブログ記事執筆、いずれも、これらは「老いの自由」といってよいでしょう。

 おかげで今回は、その執筆も記念の4900回を迎えることができました。

 これから3カ月余で、大台の5000回も望めるようになりました。

 書く楽しみとは、井上ひさしさんがいっていたように、むずかしいことをやさしくすることにあり、そしてやさしいことをふかく考えることにあります。

 この「ふかい洞察」が可能になると、そこに「おもしろさ」を覚えるようになります。

 そうなると話はますます展開するようになり、この上もなくゆかいになることができるのです。

 おもしろく、ゆかいに認める、これは非常に難しいことですが、それを肝に据えて、残り100回をめざし、大台に到達することにしましょう。

雫が石を穿つ如く

 さて、その記念すべき4900回のシリーズテーマを、「須らく雫の石を穿つ如く」としました。

 これは、まもなく終了する「『高野長英』再考」の基礎となった鶴見俊輔著『評伝高野長英』において、かれが、最高の一文だと評していた宇和島における塾「五岳堂」における学則の第一項に因んでいます。

 すでに、この第一項の解説はなされていますが、それを踏まえてより深く、多角的な考察を試みることにしました。

 医学史家として著名な川嶌眞人博士(川嶌整形外科病院理事長)は、長英が群馬県(上州)に逃亡した際に残した学問訓「水滴は岩をも穿つ・・・」を指摘されています(『続水滴は岩をも穿つ』p206、2021)ので、長英は、その学問訓を常に反芻していたのではないでしょうか。

 小さな積み重ねが、やがて大きな成果を生み出す、これを学問の道の座右とせよ、自らが逃亡者でありながらも、学問を究めようとした実践者であるからこそ、小さな柔らかい水の雫であっても、石を穿ち、破壊できるのだという信念を貫き通す意義を理解していたのだとおもわれます。

 また、長英は、その逃亡生活のなかで、「途中で止めるのであれば、最初からするな!」という趣旨の一文を認めていたようです。

 学問の道における「志」とは、「未知なる遠方へ歩み始める意欲(『老いる覚悟』森村誠一)」のことです。

 この意欲とは、雫が石を穿つという信念を持続させ、それを成就させようとするプラス思考のことです。

 私の場合の「学問の道」とは、光マイクロバブル学を究めていく道であり、光マイクロバブルの雫で、頑迷固陋(がんめいころう)と化している従来の「常識」に穴を開けて壊していく、すなわち創造的破壊と突出(ブレイクスルー)を粘り強く実現させていくことです。

 本シリーズでは、硬くて強靭な石を一つづつ、光マイクロバブルという雫で穿つことができた具体的な事例を紹介し、さらには、それが持続的に広がっていく可能性を探究していくことにしましょう。

 これから、その雫の穿つ方法について分け入っていきましょう(つづく)。
 
papurika0824
赤ピーマン(緑砦館3)