家内とは、歳をとってからは、温泉に出かけてゆっくり休養しようか、といつも話して楽しみにしていたのですが、それが一向に達成されません。
なぜなら、我が家の強力な光マイクロバブル入浴に勝る温泉が見つからないからです。
わざわざ出かけなくても、朝夕、この温泉効果抜群の光マイクロバブルの湯に入ることができますので、それで十分なのです。
4つ目は、自分で野菜を栽培し、その「うま味」に遭遇していることです。
これにはアグリ労働が必要ですが、それが楽しく、ここちよい、さらには、その労働の対価として無農薬少肥料の抜群においしい野菜を賞味できる、これは、そこはかとない感激を提供してくれるのです。
身体を動かし、汗をかく、これは健康を保つ秘訣のひとつではないかとおもっています。
そして、新たな「うま味」を持った光マイクロバブル野菜への遭遇は、いつも創造の喜びを与えてくれるのです。
おまけに、植物と直接触れ合う安心感、ゆかいさも湧いてくるようになりました。
5つ目は、こうして毎日、1500字前後の記事を書く楽しさを噛みしめていることです。
この効用は、文字にして、そして文章にして初めて深く、その本質が認識できるようになることです。
頭の整理と共に、より深い洞察が、その可能性を高めているのかもしれません。
以上のように、お金からの解放、散髪の自由、光マイクロバブルの伸び伸び入浴、ロハスの光マイクロバブル野菜生活、ゆかいなブログ記事執筆、いずれも、これらは「老いの自由」といってよいでしょう。
おかげで今回は、その執筆も記念の4900回を迎えることができました。
これから3カ月余で、大台の5000回も望めるようになりました。
書く楽しみとは、井上ひさしさんがいっていたように、むずかしいことをやさしくすることにあり、そしてやさしいことをふかく考えることにあります。
この「ふかい洞察」が可能になると、そこに「おもしろさ」を覚えるようになります。
そうなると話はますます展開するようになり、この上もなくゆかいになることができるのです。
おもしろく、ゆかいに認める、これは非常に難しいことですが、それを肝に据えて、残り100回をめざし、大台に到達することにしましょう。
雫が石を穿つ如く
さて、その記念すべき4900回のシリーズテーマを、「須らく雫の石を穿つ如く」としました。
これは、まもなく終了する「『高野長英』再考」の基礎となった鶴見俊輔著『評伝高野長英』において、かれが、最高の一文だと評していた宇和島における塾「五岳堂」における学則の第一項に因んでいます。
すでに、この第一項の解説はなされていますが、それを踏まえてより深く、多角的な考察を試みることにしました。
医学史家として著名な川嶌眞人博士(川嶌整形外科病院理事長)は、長英が群馬県(上州)に逃亡した際に残した学問訓「水滴は岩をも穿つ・・・」を指摘されています(『続水滴は岩をも穿つ』p206、2021)ので、長英は、その学問訓を常に反芻していたのではないでしょうか。
小さな積み重ねが、やがて大きな成果を生み出す、これを学問の道の座右とせよ、自らが逃亡者でありながらも、学問を究めようとした実践者であるからこそ、小さな柔らかい水の雫であっても、石を穿ち、破壊できるのだという信念を貫き通す意義を理解していたのだとおもわれます。
また、長英は、その逃亡生活のなかで、「途中で止めるのであれば、最初からするな!」という趣旨の一文を認めていたようです。
学問の道における「志」とは、「未知なる遠方へ歩み始める意欲(『老いる覚悟』森村誠一)」のことです。
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