「東医宝鑑」を著したホジュン(2)
『東医宝鑑』は、内医院(ネイウォン)の王医としてのホジュンが14年の歳月を通して書き上げた優れた医学書でした。
これは、もともとのルーツであった明にも影響を与え、さらには、日本にも小さくない貢献をなした医学書でした。
これを読んだ徳川吉宗は、その和訳と活用を奨励したほどであり、徳川幕府の医師たちは、この『東医宝鑑』を導きの書としたのでした。
その内容は、ヒトの内臓(五臓六腑)の解説から始まり、その経絡への針やお灸の治療、そして薬草の体系と投与法などを中心としていました。
ホジュンは、王様の崩御によって罰を受けた流刑の地で、この大著を一人で書き上げたのでした。
この実践的な医学の体系をまとめ上げたホジュンの功績が、その後の日本社会に与えた影響は小さくなく、いわば、ホジュンは、日本社会にとって「医学の祖」という存在だったのです。
朝鮮半島を通じて日本に伝来してきたのは医学だけではありません。
文化の分野においても、優れた伝来物がいくつもあります。
それらは、焼き物においては、たとえば「萩焼」、そして彫刻においては「百済観音像」を見ればすぐに解るでしょう。
この歴史的に素敵な伝来物(贈り物)のことをよく理解していないのでしょうか、昨今は、やたらと「反日」感情を煽り、大切な貿易までストップさせてしまった流れがありますが、それは、真に愚かなことではないでしょうか。
科挙への挑戦
ホジュンの日夜を分かたぬ猛勉強の成果は、徐々に現れ、院主のユ・ウイテやイェジンは自然に認めるようになっていきます。
ホジュンが、医者のとしても研鑽を摘んでいくにしたがって、今度は、ユ・ウイテの息子として、すでに医者の道を先行していたユ・ドジとの違いが明らかになっていきます。
かれは、医者としての技術は父親から学んでいましたが、その人格は、まるで母のそれを受け継いでいました。
それゆえ、ユ・ドジは、父親の医院を受け継ぐ気はさらさらなく、科挙に合格し、内医院(ネイウォン)の医者となり、王医を目指すことのみを考えていました。
しかし、ユ・ドジは、第1回目の科挙においては不合格でした。
それは、内医院(ネイウォン)の審査医官が、かつて上司の王医がユ・ウイテと不仲であったことを気にして合格させなかったからでした。
ドジは、その不合格を父親のせいにして、荒れに荒れた生活を送るようになり、挙句の果てには家を飛び出してしまいます。
ホジュンは、その翌年にドジと同じく科挙の試験を受けようとしたのですが、途中の村の宿で、病気を診てほしいという患者が殺到し、最後には、急いで馬を飛ばして試験に向かう途中で落馬し、気を失って試験に間に合いませんでした。
ここで、同じ宿に泊まっていたドジは、患者を一人も診ず、ホジュンは、患者が殺到して結局は科挙の試験を受けられなかったことで、両者における患者に対する接し方の対比が浮き彫りになりました。
その患者無視の行動を後で知った父親のユ・ウイテは、息子の愚かな行動を叱りますが、息子の方は何ゆえに叱られたのかもわからないまま、家を出ていったのでした。
このホジュンとドジの違いが鮮やかに描かれるなかで、医療にとって最も大切なことは何かが示されていきます。
それは、ユ・ウイテがいう「心医」であり、患者に対する哀れみ、思いやりのことでした。
最近では、それを「忠恕」という言葉でも表現されています。
医は、出世や金儲けのためにあるのではない、どこまでも、患者に哀れみを抱いて医を尽くす、これが、ホジュンにいい伝えたかったユ・ウイテの思想でした。
物語は、翌年、科挙に首席で合格したホジュンと1年先に合格した先輩のドジとの「心医」をめぐる格闘が、王族たちへの治療を介して、おもしろく描かれていきます。
内医院におけるホジュン
ドラマの舞台は、宮廷医官としてのホジュンの活躍へと進展していきます。
宮廷は、もっとも階級制度が徹底され、さまざまな権力と欲得が旺盛なところであり、そこでホジュンが、いかに「心医」を貫くことができるかどうかをめぐって、おもしろく展開していきます。
なにせ、すぐ1年先輩には、好敵手のドジがいて、その上司たちは、賄賂を好み、優れた医療を行う医者を疎み嫌うということに徹していました。
その最大の嫌がらせといじめが、主席合格のホジュンを「恵民署(ヘイミンソ)」に追いやったことでした。
ここは、日常的に外部から患者が押し寄せてきて、その治療に追われる、最も忙しく大変な医療現場でした。
しかし、その左遷は、ホジュンが最も希望していた医療現場であり、かれっは、そこでさまざまな患者と接して現場医療の実際を体験的に学びたかったのです。
宮廷医官たちが、最も忌み嫌ったヘイミンソでホットな医療を学び研究したかったホジュンは、最初から彼らとはまったく違った「心医」の思想を宿していたのでした。
そして、同じヘイミンソの医官たちと共に治療をしていくなかで、医者が互いに協力し合うことの大切さをも理解していきます。
よりうれしかったことは、ユ・ウイテの下で働いていたイェジンが、ヘイミンソの女官として働いていたことであり、二人の協力は、さらに深まっていきます。
さらには、もう一人、ユ・ウイテの医院で働いていたイム・オグンが、内医院(ネイウォン)の薬草係として働いていました。
かれは、ホジュンに教えてもらった問題が、科挙の第一次の筆記試験においてそのまま出題されていたのでみごとに合格、その実績を踏まえて、コネで内医院(ネイウォン)に入ることができていたのです。
このイエジンとオグンの二人が、強力な支援者としてホジュンを助けていきました。
次回は、この「心医」としてホジュンが、さんざんいじめられながらも不屈に立ち向かっていく姿を追いかけていきましょう(つづく)。
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