韓流
韓流ドラマにおいて、日本人の心を捉えたのが、2002年放送の「冬のソナタ」でした。
主役のぺ・ヨンジュンとチェ・ジウによる切ない恋物語でした。
しかし、私の韓流への関心を強めたのは、2003年3月から放送されたィ・ヨンエ主演の「大長今(テジャングム)・宮廷女官チャングムの誓い」でした。
しかし、私の韓流への関心を強めたのは、2003年3月から放送されたィ・ヨンエ主演の「大長今(テジャングム)・宮廷女官チャングムの誓い」でした。
これは、ィ・ビョンフン演出の下で製作されたMBC(馬山文化放送)による全54話の放送番組です。
放送開始当時から超人気を博し、視聴率は50%を常に超えていた番組です。
放送開始当時から超人気を博し、視聴率は50%を常に超えていた番組です。
演出のィ・ビョンフンは、歴史ものが得意で、韓国の歴史書のなかに、「大長今」の言葉を見つけ、このドラマの構想を練られたそうです。
宮廷女官として「大長今」にまで上り詰めた女性がいたことを踏まえて、かれのドラマの物語のアイデアが浮かんできたと仰られていました。
周知のように、昔の韓国には身分制度があり、さらには男尊女卑の思想も蔓延っていて、そのなかで力強く生き抜く唯一の方法は、他人よりも格別に賢くなることでした。
周知のように、昔の韓国には身分制度があり、さらには男尊女卑の思想も蔓延っていて、そのなかで力強く生き抜く唯一の方法は、他人よりも格別に賢くなることでした。
チャングムの母は、宮廷の料理女官として働いていたことから、亡き母の遺言として、チャングムも幼き頃から、宮廷の女官見習いとなっていきます。
才藻奇抜で物怖じしないチャングムは、上官たちからは面倒で生意気な子としてみられ、友人からも意地悪されることが多く、そのなかでも才気を放って切り抜けていく姿には素晴らしいものがありました。
そこには、優れたスラッカン(王の厨房)の女官だった母の教えと躾をしっかり受け止めていたチャングムは、その利発さにおいて図抜けた資質を有していました。
ハン尚宮との出会い
いわば、問題児だったチャングムを引き取って教育する役目を担ったのが、ハン尚宮でした。
スラッカンの責任者の下には、二人の補佐役がいて、その一人が彼女でした。
ハン尚宮は、チャングムを厳しくしようとして数々の難問を押し付けるのですが、それをチャングムは涙を流しながらも乗り越えていきます。
そして、二人は、いつしか信頼し合う師弟になっていきました。
ハン尚宮が、チャングムを評価した有名な言葉があります。
それは、「チャングムが、料理の味を描くことができる」という表現でした。
後に、ハン尚宮は、チャングムの母と親友であることが判明し、より一層二人の信頼関係は深まりますが、ハン尚宮は、ライバルの邪によって追放の途中に逝ってしまいました。
そしてチャングムも宮廷から追い出されてしまいますが、そこから、今度は医官の道を志し、最後には王医を務めるまでに成長していきます。
料理における機転が、今度は医学において十二分に発揮されるようになります。
病気の治療においては、いかなる邪や政治的思惑は、少しも通用しません。
誰よりもも優れた実践的医学を究め、その独特の治療法によって、数々の難題を解決し、小さくない身分や政治の壁をブレイクスルーしていくのでした。
そして、最後には、王様の絶大なる信頼を得て王医にまでなっていったのですから、それを韓国のみなさんが、医師としてのチャングムの成長に拍手大喝采したのでした。
チャングムの賢さ
さて、チャングムの賢さは、どこにあったのでしょうか?
母の遺言をしっかり受け止めて、スラッカンの料理女官になることを懸命にめざしたこと、これが第一の賢さでした。
料理の師となったハン尚宮の期待に則して、すばらしい料理人になって、王様を前にして料理の競い合いに勝ち、味を描くことができるようになったこと、これが第二の賢さでした。
第三の賢さは、不幸にしてスラッカンを追われた後においても、医学を究め、宮廷の医官としてカムバックし、数々の病気を治療して王様や王女の信頼を得るまでに至ったこと、そして同僚の医官たちにも尊敬されたことにありました。
第四は、よき伴侶を得て、かれの支援を得たことでした。
そして、最後は、王様が逝った後には、在野の医師となり、当時としては誰も行ったことがない外科手術を成功させ、さらに医学の新たな道を切り拓いたこと、これが第五の賢さでした。
幼き頃から、知恵を絞り、工夫を凝らし、学問とアイデアで勝負する、これこそ、現代人にとっても必要なジェンダー平等のたくましい精神と行動力を示したのでした。
これらは、次の歴史ドラマ『馬医』にしっかりと受け継がれていました。
これらの賢さは、今の日本人が学ぶべきものではないでしょうか!
(つづく)。
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