光マイクロバブルと光マイクロバブル水の定義

 光マイクロバブル:「その大量発生時において直径1~65㎛を有し、数十秒間という短期間に収縮しながら、同時に8~9ヘルツで振動して消滅していく過程において化学的に反応する気泡」

 光マイクロバブル水:「光マイクロバブルの化学反応が反映された水」

4つの周波数が一致したことの「意味」(9)

 前記事においては、脳が感じる「ここちよさ」、「まどろみ」に関して4つの段階について考察しました。

 おそらく、この感覚の変化は、脳波の変化に対応しているのではないか、すなわち、アルファ波からシータ波へと移行していく過程において起こっている現象ではないかと思います。

 この脳波における周波数の低下は、ある意味で脳の機能の「低下現象」と結びついているのではないでしょうか。

 「いらいら」を覚える脳波から、頭が冴える「ここちよさ」への変化、

 「頭が冴えるここちよさ」を覚える脳波から、まどろみを覚える「ここちよさ」への変化、

 「ここちよいまどろみ」を覚える脳波から、うとうと、と眠たくなる「より深いまどろみ」への変化、

 これらの変化の過程においては、いずれも、脳波の周波数が、より低下していく現象と関係しています。

 これを平たくいえば、脳の「ぼんやり化現象」といってもよいでしょう。

 この「ぼんやり化」とは何か?

 お風呂に入って「ぼんやり」する、それ以外にも、ひょっとしたら似たような現象があるのではないか、と思うようになりました。

 それは、「コヒーレンシー」という用語であり、一種の充実感を示唆しているようです。

 この「coherent」という用語は、かつての私の専門だった流体力学の分野においてもよく出てきていました。

 「coherent structure」、「coherent motion」といわれてきたもので「秩序構造」、「秩序運動」と和訳されていました。

 これは、「turbulent structure(乱流構造)」と、ある意味で相反する概念であり、ランダムで偶然なもののなかに、秩序を有する流体の構造を見出そうという探究でした。

 この秩序性を明らかにしていくことは、流体力学上の究明における一種の「充実」をめざす認識行為ではないかと思います。

 これを生物にあてはめると、生物体における充実とは、何に相当するのでしょうか?

 この充実を身体的と精神的の両面から考えていきましょう。

 前者における身体的充実感とは、どのようにして得られるのでしょうか?

 これは、毛細血管における血流が重要な関係を有しているように思われます。

 たとえば、高齢化してくると血液循環が悪化し、それが身体の痛みや冷えとして出てきます。

 毛細血管における血流が停滞し、それによって毛細血管そのものがなくなってしまう場合もあります。

 こうなると、その痛みや冷えだけに留まらず、違和感、嫌味が増し、精神的にも不安定なことが増えてきます。

 これは、「非充実」現象といえるのではないでしょうか。

 この丁度逆が、文字通りの「充実現象」といえます。

 この現象は、光マイクロバブル入浴によって日常的に体験可能になります。

 光マイクロバブル湯に入る、身体が温まり始める、同時に光マイクロバブルによる大幅な血流促進が発生、身体中の血の巡りがよくなる、それが脳にも伝搬し、その脳がこの上ない「ここちよさ」を覚えるようになる、この好循環サイクルが形成されるようになるのです。

 これこそ、光マイクロバブルによる格別の「充実現象」ということができることから、これを「光マイクロバブル・コヒーレンシー」、「光マイクロバブル・コヒーレントモーション」といってもよいでしょう。

 この身体的コヒーレンシーの発生と共に、精神的にも、同じ充実が産生され、卑近な言葉では「ここちよさ」が生まれるのです。

 これを「コヒーレントなここちよさ」と修飾してもよさそうです。

 この現象と関係については、犬と飼い主の間で、非常に興味深いことが見出されています。

 犬が飼い主の目を見つめ、その飼い主が犬の目を見つめ直すと、犬の脳や体内に「オキシトシン」という特別のホルモンが生成されることが明らかになっています。

 このホルモンは、別名「愛情ホルモン」ともいわれていて、それが互いに見つめ合うことで産生してくるのです。

 また、障碍児保育で著名な斉藤公子先生は、これと同じことが、ヒトの赤ちゃんと母親の間において起きていることを強調されていました。

 「目の前で、赤ちゃんの頭をしっかり抱いて、その目をしっかり見つめてください。これが保育の大切な最初の行為ですよ!」

 おそらくヒトの体内において、同じホルモンの代謝が盛んに行われているのだと思います。

 この見つめ合う動作を繰り返すうちに、その愛情行為が「ここちよく」なり、ますます、互いが好きになっていくのではないでしょうか。

 この意識や感覚経験は、脳科学における「クオリア」と呼ばれているものに似ているのかもしれません。
 
 このクオリア研究の草分けとして重要な業績を示された脳科学者の茂木健一郎さんが、大変おもしろいことを解剖学者の養老孟司さんとの並列講演において、イギリス人の研究成果として披露されていました。

 それは、「ヒトを愛する時は、脳の活動が低下する」というものでした。

 愛するという精神的行為を、ヒトが「ここちよい」と認識するからではないでしょうか。

 上述のように、脳の活動が低下することは、その脳波における周波数が低下していく現象ですので、そこに「重要な共通の何か」が存在しているような気がしています。

 次回は、その「重要な何か」について、より深く分け入ることにしましょう(つづく)。

saaniretasu
サニーレタス(GFH1-A)