新しい酒には新しい革袋を盛ろう
 
 昨日の新型コロナウイルス感染は、過去最高の4万1485人、東京は7377人と同じく過去最高を記録しました。

 また、来週には、東京都において18000人の感染者が出ると、都の専門家によって予測されています。

 このように過去最高の感染者を出しても、政府は、蔓延防止法を13都道府県に適用するという手ぬるい措置しか取れていません。

 なぜ、このように遅くてルーズなのでしょうか?

 感染で苦しむみなさんの、お気持ちや深刻な状況をよく理解できていないのでしょう。

 そのことは、国会での首相の棒読み答弁にもよく現れています。

 重いはずの、その座が、こんなに軽いとは、と悲嘆を覚えています。 

 さて、新たな年を迎えて、これまでを見つめ、それを踏まえて、これからの日本は、いったい、どのような道の選択をしていくのかについて、調査研究を行ってきました。

 そのために、単行本、雑誌、ネット番組などをかなり拝読、拝見してきました。

 その際、重点的に調査研究してきたのは経済問題であり、ようやく、その姿の全容と本質が朧気ながら解り始めてきました。

 その結論として、

 「日本国内の需要を喚起し、生産性を向上させることであり、それには、その経済を牽引できるエンジンとなる新技術を創出し、立国の土台とする」

を得ました。 

 詳しくは、別稿において開始した記念シリーズ(4650回記念)で解説する予定ですが、本記事においては、その結論を基礎にして叙述を進めることにしましょう。

 生産性を向上させるには、それにふさわしい労働力が不可欠です。

 これからの15~65歳の人口は、どうなっていくのでしょうか? 

 団塊の世代の大量の高齢化に伴って、これから、その労働人口が急速に減少していきますが、大丈夫でしょうか?

 そのような深刻な労働力不足を、どう克服していくのでしょうか?

 さらには、その働き手が、何を背負って日本を支えていくのでしょうか?

 トヨタ、パナソニック、ソニー、ホンダなどは、小さな中小企業から出発して、今の大企業にまでなっていきました。

 そのような企業が、これからの日本に出現するのでしょうか?

 これらの企業の足跡を辿っていくと、その企業のとしての発展の原動力には、新技術の創造がありました。

 それを担ったみなさんは、その創造に執念を持って挑戦し、最後には、それを成功させる粘り強さを有していました。

 このように、偉大な歴史的な技術革新魂の灯を消してしまってよいのでしょうか?

 残念にも、新たな時代を想像してきた技術革新の担い手は、この平成の30年に出現しませんでした。

 それが、失われた30年の証明でした。

 なぜかといえば、大企業の経営者たちが、技術革新の切磋琢磨を怠り、円安で利潤を得るという悪魔の術に固執したことで、不況のピンチこそ、企業を立て直すチャンスと考え、その技術革新を行うための自己否定ができなかったからです。

 そして、円高になれば、利潤が得られないとから、今度は労働者の賃金を上げないことで、さらには非正規を増やし、女性労働者の賃金格差を徹底するという、世界にも類例のない拙い方法で利潤のみを追求したからではないでしょうか。

 上記の偉大な先輩たちは、なぜ、そんなに臆病なのか、どうして、果敢に技術革新に挑戦しないのかと、きっと怒っておられることでしょう。

問題の核心は?

 問題は、その技術革新の担い手をどう育てるかにあります。

 おそらく、今の安値競争と円安頼みの大企業の経営者に依存していたら、その見込みは、ほとんどないでしょう。

 ある医療経済学者は、今の日本では、技術革新を起こそうとしても、その芽を自ら摘み取って消してしまう構造に陥っている、その経営陣を変えるよりは、人材を豊かに育てる方がはるかに可能性があるとまで言い切っています。

 たしかに、そうだと思います。

 中国は、日本の人口の10倍人がいます。

 そこから、若い優秀な技術革新を担う若者も10倍の確率で排出するはずです。

 そのことを考慮すれば、若い可能性豊かな技術者を増やしていくことこそ、日本の進むべき道ではないでしょうか。

 1)労働力不足に備え、2)若い優秀な技術者不足に備え、そして3)近い将来において技術革新を担う若者たちを育てていくことこそ、今為すべきことではないでしょうか。

 こう考えると、高専400校構想は、夢のような話ではなく、また、非現実的な話でもなく、ましてやとんでもない話ではないのです。

 工業高校、職業高校を含めた高専化によって、その400校構想を実現し、近い将来における技術革新の土台作りに今すぐ着手すべきなのです。

 この400校構想における、もう一つの重要な理由は、若年から将来の進路を決めて努力してきた若者の先達が、幾人も輩出し続けていることであり、高専生には、その可能性があることです。

 たとえば、今の世であれば、将棋の藤井聡太四冠、少し前であれば、鈴木イチローさんを観れば解ります。

 時代の進歩と共に、若くして、堂々と大人たちと渡り合うことができる若者が、たくさん輩出されるようになってきたのです。

 問題は、その世代をやさしく、そして強く、どう育てるのかにあります。

 15歳にして、技術者になることをめざして、5年、7年と学び、鍛えるというシステムが、時代と同調し始めて、その可能性を大きく広げてきたのです。

 問題だらけから始まった高専生が、その厳しい困難と試練のなかで、たくましく育って行ったのです。

 ここは、高専を運営されているみなさん、高専の将来を見据えて、高専400校構想を真摯に検討されてはどうでしょうか!

 また、長岡、豊橋の両技術科学大学のみなさん、みなさんと同じ大学を増やして15校にすることを考えてみては、いかがでしょうか!

 その意味で、高専400校、技術科学大学15校構想は、近い将来のわが国にとって、重要な土台であり、技術革新を担う人々の輩出機関になっていくことといえるのではないでしょうか。

 コロナ後の世の中は、不況、バブル崩壊、円高、株安の世界が到来するのではないかという「予測」が出始めています。

 それが新たな世界であれば、それに抗する技術革新という「新酒」には、それを盛る新たな人々の連携(革袋)が必要になりますね。

 この新しい革袋にふさわしい質的教育の問題は、次回以降に分け入ることにします(つづく)。

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ミモザ(前庭)