先輩たちの偉大な発明
小さな町工場を現在のパナソニックにまで大きくした松下幸之助さんは、不況こそ、企業を変えていくチャンスが到来として、その克服に果敢に挑んでいきました。
この不屈の精神は、戦後における中小企業から出発して大企業にまでになった先達に共通していました。
たとえば、ソニーを創業された井深大さんは、アメリカで開発された補聴器のトランジスタの権利を買い取り、それをラジオ作りに転換しました。
新卒の大学生を大量に雇い入れ、そのほとんどをトランジスタラジオの開発に挑ませたのでした。
また、同じソニーの盛田常夫さんは、社員が手製のヘッドホンと録音機で音楽を聴いているのを見つけ、すぐに、その開発プロジェクトをつくりました。
これが、世界中を一世風靡を行った、あのウォークマンの開発に結びつきました。
さらに、本田宗一郎さんは、アメリカの自動車排ガス規制の動きを見据えて、CVCCというエンジンの開発に挑みました。
当時の有名な話は、朝の3時、4時頃まで、あれこれと試験を行い、その最後には、明日は、こう改善しようといって終わり、翌朝は、その改善結果を基にして、再度の実験を繰り返すという日々の連続だったそうです。
私も、これに少し似た経験がありますが、開発とは、その改善の積み重ねの結果として成就していくものであることを強く認識させられました。
また、トヨタの前身の豊田織機の創業者である豊田佐吉さんは、母が夜なべして織る織機を改善して楽になってもらいたいと思って、その改良を行い、初めて発令された特許法のことを知らされ、その特許を申請されました。
日本では、誰も注目しなかった、その織機の開発と特許がイギリスの会社に注目され、その高額の移転がなされました。
この成功が基になり、トヨタ商会、トヨタ自動車の設立に結びつきました。
さらには、御木本幸吉さんは、縄づりで初めての3つの真珠養殖に成功され、同じく、それを特許化しました。
この特許が、あのエジソンに注目されました。
後に、同郷の知人が、エジソンを訪問した際に、エジソンから、その真珠の発明のすばらしさについての評価を聞かされたそうです。
このように、わが国には、エジソンや外国の企業が高く評価する発明の伝統と文化が営々として築かれてきました。
発明好きの日本人
上記の優れた発明を成し遂げた先達には、次の共通する特徴があったように思われます。
⑴新しいことが好きで、それを産み出すことに使命感を覚え、その素養を磨き、洗練させていた。
⑵その開発や発明によって何がもたらされるのか、すなわち、時代や社会が何を求めているのかを考究し、それに応える使命感を有していた。
⑶最後には、必ず成功させるという粘り強さ、やり抜くという意思の強さを磨いていた。
⑷そこに至るまでに、小さな成功体験をいくつも重ねてきて、それを発展させていくことの重要性を深く認識していた。
⑸スタッフや部下を大切して、力を合わせて困難を解決していく素養と豊かな人間性を備えていた。
こうして、かれらの総体像を描くとすれば、高度な専門性、自分の開発や発明の位置づけができる社会性、協力者と一緒に集団で取り組みことを可能にする組織性、それらを支える素養としての人間性を有した技術者、経営者ということができるのではないでしょうか。
前記事においては、「あなたはもう忘れたのかしら・・・」と、やや揶揄的に、「ものづくり」の精神が薄らいでしまっている昨今の風潮について言及しました。
円安でしか利潤を産み出せなくなり、それが円高に向かうと、今度は労働者の実質賃金を減らし、非正規の労働者を雇って、わずかなでも利潤を得ようとしている情けない姿を、上述の先輩たちは嘆いているのだと思います。
「いや、いや、今は、あなたたちが活躍された時代とは違いますよ!」
前記事においては、「あなたはもう忘れたのかしら・・・」と、やや揶揄的に、「ものづくり」の精神が薄らいでしまっている昨今の風潮について言及しました。
円安でしか利潤を産み出せなくなり、それが円高に向かうと、今度は労働者の実質賃金を減らし、非正規の労働者を雇って、わずかなでも利潤を得ようとしている情けない姿を、上述の先輩たちは嘆いているのだと思います。
「いや、いや、今は、あなたたちが活躍された時代とは違いますよ!」
このような反論が聞こえてきそうですが、その反論は成り立つでしょうか?
ある経済学者は、「今の日本経済は構造的に破壊され続けているので、個人消費を拡大しないかぎり、何をやっても改善しない」といい、また、別の学者は、「今の日本では、イノベーションは起こらない、なぜなら、それを起こそうとしても、それを潰してしまう構造になっているからである」ともいっています。
それは、イノベーションを起こす社会的条件が整っていないなかでは、当然のことながらイノベーションを起こすことはできないことを示唆しているのではないでしょうか。
このような厳しい社会のなかで、そして、最近は、さらにコロナ危機が押寄せてきていますが、それでも、上記の先輩たちが築いいてきた「ものづくり」による発明の伝統と文化の灯を消してしまうわけにはいきません。
本稿では、偉大な先輩たちの苦闘を学びながら、その2022年にふさわしい「ものづくり」とは何かについての探究に分け入りたいと思います(つづく)。
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