クライマックス

 二人だけの語り掛けが延々と続けられていた演劇「玄朴と長英」のクライマックスは、名優嵐圭史が扮する高野長英が、土下座して「金を貸してください」と伊藤玄朴に頼み込むシーンでした。

 兄弟子が、弟弟子に頭を下げる、こんなことは一度もなかったのではないかと推測されるシーンでした。

 そして、頼む方は牢破りで、これから逃避行を続けようとする死刑囚、頼まれる方は、幕府お抱えの医師ですので、最初から、それは無理な「お願い」でした。

 「最後は、土下座をしてまでも頼んでくるであろう」、これも玄朴は予想していたことであり、それが彼のセリフとして語られます。

 しかし、100両という大金を貸してくれと頼む相手は、その玄朴しかいませんでした。

 追い詰められていた長英は、とうとう頭を下げて「50両でもよいから開始ください」と頼み込みます。

 兄弟子の長英のことをよく知り尽くしていた玄朴は、それも、お見通しであり、最後まで首を縦に振ることはありませんでした。

 それは、自分の立場のことを考えての判断ではなく、弟弟子としての意地のようなものが働いていらのだと思います。

 「ここで長英のいうとおりにすれば、弟弟子としての、これまでのすべてが瓦解してしまう」

 このような気持に襲われていたのではないでしょうか?

 さすがの長英も、「ここまで頭を下げてもだめか」と観念し、その場を立ち去っていきました。

 ここで、玄朴が、「最後のセリフ」を独り言として静かに語ります。

 この「最後のセリフ」において「何をいうのか」、これが脚本家としても最も思案するセリフであり、それによって演劇の成功か否かが決まるのだそうです。

 著名な小説家、劇作家である「井上ひさし」さんは、そのことについて、次のように言及されています。

 「劇中のすべてのセリフは、最後に何をいうのかを考えながら作られている。最後のセリフによって、演劇の善し悪しが決まる」

   おそらく、先輩として著名な、そして『玄朴と長英』の劇作家である真山青果さんの手法を参考にされたのでしょう。

 そこで、最後まで頑なに長英の借金のお願いを拒んだ玄朴の発したセリフとは、何だったのでしょうか?

長英の別れ際

 ここで、長英は、これ以上頼み込んでも無理だと悟って、そのまま部屋を出ていきました。

 それまでは、延々と論争し、語り合い、頼み込んでいたにも関わらず、最後は、すんなり出て行ってしまった長英でしたので、そのことが、私にとっては意外なことでした。

 あれほど、頼み込んでいたのだから、玄朴に対する胸の内をもっと赤裸々に語るのか、あるいは泣き言か恨み節でも述べるのかと思っていたら、何もなく、部屋からそっと消えていきました。

 しかし、そのセリフと演出は、玄朴の最後の思いを語らせるためにあったのだと思います。

 そのことを後になって気づくことができました。

 最後のセリフを玄朴が語るには、長英の別れ際を、何もなかったように、そして、すっといなくなる鮮やかさが必要だったのです。 

 その玄朴の最後のセリフは、

 「長英よ、俺はあなたが好きだった!」

でした。

 「金を貸さなくて悪かった!」、「なぜ、幕府に恭順しないのか!」、「捕まるなよ!」などではなかったのです。

 このセリフは、聴衆に、その意味を考えさせるに十分なものでした。

 「本当に好きであったならば、なぜ、金を貸さなかったのか?」

 そのことを想起させますが、そういわせた玄朴の心の内の実際はどうだったのでしょうか? 

 その心の内に、さまざまな想像を浮かばせることで、今度は、聴衆のなかに玄朴と長英の葛藤や苦しみ、そして思いやりが生き続けることになるのではないでしょうか。

 みごとなセリフと演技、そして演出に、しばし、動かされた心を止めることができませんでした。 

歴史のなかの「長英」

 その後、長英は、自分の顔を酸で焼いて逃亡生活を続けておきます。

 しかし、医者として弱者を助けながら政道の誤りを指摘していきます。

 この段階において長英は、単なる町医者の域を乗り越えて、最高の軍事・政治学者へと進化していったのです。

 
そのことが、ますます幕府によって要注意人物となり、幕府お抱えの学者や役人たちにとって「許されざる人物」になっていったのでした。

 
次回は、その長英が、歴史のなかに遺したものは何か、それが今日にどう生き続けているのかに分け入ることにしましょう(つづく)。

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定着したツルムラサキ(GFH1のAレーン)