芸歴70年の嵐圭史

 演劇「玄朴と長英」の長英役の嵐圭史は、五代目嵐芳三郎の次男、今は亡き兄は六代目嵐芳三郎でした。

 7歳の時に初舞台、今年で70年の芸歴を積み重ねてこられたそうです。

 長い間、来年で90周年を迎える前進座(中村翫衛門、河原崎長十郎、嵐芳三郎らによって創設された)において、中村梅之助とともに活躍されてきたそうです。

 かれの演劇を直接拝見するのは、今回が初めてでした。

 事前にK整形外科病院のK理事長から、かれの芸歴や今回の演劇に関するK先生宛の手紙の内容を紹介していただいた時に、その70年の芸の奥深くに触れてみたいと思いました。

 かつて映画においては、木村拓哉主演の『武士の一分』において悪役の家老役を名演していたのが印象的でした。

 その嵐圭史さんが、高野長英役を演じると聞いて、心が大きく動かされ、演劇を拝見しようと思いました。

 それは、私が大学生の時に、小説『長英(上、下巻)、西口克己著』を拝読し、それ以降も何度も読み返していたからでした。

 かれは、オランダ医学を勉強するために、長崎にやってきたシーボルトに弟子入りします。

 その時、シーボルトから与えられたテーマは、クジラの研究でした。

 当初、かれは、そのクジラ研究の意味をよく理解できませんでした。

 じつは、クジラもヒトも同じ哺乳類ですので、同じことだったのですが、しばらくの間は首を傾げながらの辛抱の研究でした。

 しかし、クジラの研究を深めていくにしたがって、シーボルトの真意がわかるようになっていったのです。

 長英は、この真意を理解した後も研鑽を積み重ね、シーボルトの一番弟子になっていきました。

 そして、その二番弟子が伊藤玄朴だったのでした。

 二人してシーボルトを師と仰ぎながら医学を学んだ、いわば「竹馬の友」だったのです。

 しかし、シーボルトは、日本地図を受け取ったという罪で追放されてしまいます。

 当然のことながら、その罪は弟子たちにも及ぶようになり、長英の逃亡生活が始まります。

 長崎から中津へ、そして中津で40日間の隠遁を行っていたことが、つい最近になってK先生によって、中津の林家の蔵の中から長英自身の手紙と共に発見されたのでした。

 その手紙によれば、長英は、中津藩主に、隠遁しながら雇っていただくことを願い出ていたそうです。

 しかし、それも叶わず、次の隠遁地として宇和島に向かいました。

 ここには、シーボルトの娘である通称「オランダおいね」と蘭学に理解を示していた宇和島藩主がいたからでした。

 しかし、ここも長く隠れてはおられずに、江戸で町医者として暮らすようになります。

 しかし、蛮社の獄事件で幕府に捕獲され、終身刑となって伝馬町の牢屋敷に収容されます。

 一方、玄朴は座敷牢における「謹慎」で済み、幕府お抱えの医師になっていきます。

 同じシーボルトの弟子であっても、自分の意思を貫いて逃亡した長英と玄朴は、互いに異なる道を歩み始めていたのでした。

 長英が牢屋生活を始めて5年目を迎えた時に、牢屋敷に火事が発生し、囚人たちが全員牢屋から退出させられます。

舞台の始まり

 そして3日以内に帰れば減刑も考慮されるという、その3日目、演劇は、長英が玄朴の家を訪ねて行った時から始まりました。

 嵐圭史扮する長英は、なんと変装して侍姿で登場してきました。

 侍らしく、刀も立派な二本差しでした。

 この侍姿が颯爽としていて、立っているだけで、かっこよかったのでした。

 長年の舞台姿の積み重ねが、その颯爽さを自然に醸し出させていたのでしょう。

 これに対し、玄朴の方は医者姿ですので、ここで小さくない違いを見せつけていました。

 2つめは、声の違いでした。

 玄朴のほうは、つい先ほどまで爽やかなバリトンを発していたのですから、透き通った声でした。

 一方、嵐の長英は、ややだみ声混じりだったのでしたが、これがよく響き、迫力に満ちていました。

 70年の舞台において鍛え抜かれた声ですので、仰向けに寝ても、座っても、もちろん立っても、その声は身体から抜けて会場内に響き渡っていました。

二人劇の醍醐味

 舞台は、この二人が語り合うのみの演技劇でしたので、いかに、二人の立場と思いを表現するのか、ここに焦点が絞られていました。

 長英は、牢屋に戻る気など、いささかもない脱獄者であり、玄朴は幕府に仕えるお抱え医師ですので、この立場の違いが、最初から如実に現れていました。

 長英は、牢屋に戻らず、そのまま故郷の水沢(今の岩手県)に住む母に会いに行くために100両の金を貸してくれと、玄朴に頼みます。

 しかし、長英のことを同じ弟子として知り尽くしていた玄朴は、その懇願に応じる意向はありませんでした。

 一方で、長英の方は、一番弟子としてのプライドもあったのでしょう、お金を恵んでくれとはいえずに、「貸してくれ」と懇願したのでした。

 これには玄朴が一向に応じなかったことから、さまざまな言い合いになっていきます。

 そのやり取りが、本演劇の醍醐味といってよいでしょう。

 長英は、玄朴が、なぜ幕府のお抱え医師にまで栄転していったのか、その理由を知りませんでした。

 かつては、シーボルトの下で勉強した仲でしたから、方や脱獄者、もう一方は幕府の医師ですので、この違いには天と地ほどのものがありました。

 運命とは、ふしぎなもので、長英が牢屋生活をしている時に、国内に天然痘が蔓延しました。

 その時に、その予防接種で活躍したのが玄朴であり、その功績によって玄朴は幕府に小さくない評価を受けたのでした。

 その天然痘の予防接種のことを長英は、ほとんど知りませんでしたので、最初の論争では、玄朴に軍配が上がります。

 しかし、豪放磊落の長英は、その玄朴の実績を素直に喜び、弟弟子を称えました。

 そして、これを皮切りにして二人の医学論争が本格化していきます。

 二人とも早口ですし、専門用語も出てきますので、そのやり取りをすぐに理解することは簡単なことではありませんでした。

 じっと聞き入っていても、時々何を言っているのかが解らなくなることもありました。

 しかし、その論争は続いていきながら、その結末は、「金を貸してくれ」、「頼むから貸してくれ」、そして最後には「金を貸してください」でした。

 兄弟子として声高に頼んでもだめなので、あの手この手を使って玄朴の頑なな心を解そうするのですが、当の本人は、長英のことを知り尽くしているし、その脱獄者に支援を行ってしまうと、自らの地位を追われかねないことをよく理解していたのです。

 玄朴も、弟弟子としての意地がありましたので、その不利が生まれることを口に出していうことはなく、それゆえに、二人の医学論争が何度も燃え上がったのでした。

 ここで、感心したことが2つありました。

 その第一は、二人が、長いセリフを、少しもよどむことなく、早口で語り合ったことです。

 舞台は、部屋のなかですので、動いているの二人の身体と口だけでした。

 ここちよい声の玄朴とドスの効いた長英の迫力あるセリフが絡み合い、そして幾度となく共鳴し合って劇が展開していったのです。

 第二は、それを少しも退屈せずに、私語もなく、じっと聞き入っていた800名の聴衆のみなさんのすばらしさでした。

 家内が、「それは、中津のみなさんの文化の度合いが高い証拠ですよ、すばらしいですね」、といっていましたが、その通りだと思いました。 

 竹馬の友であっても、互いの意地を貫き通す、その論争にすばらしさを教える二人劇、これが本劇における核心の醍醐味でした。

 次回は、そのクライマックスと本演劇の感想を述べることにしましょう(つづく)。

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GFH1のBレーン(奥がセロリ、右がシュンギク)