粘土質土壌の問題点

 前回は、粘土質過多の土壌の問題を検討しました。

 もともと、粘土質の土壌は、土の粒子が小さく、そこに有機質の成分を介在するとくっ付きやすいという性質を有しています。

 そのために、水持ちはよいが、水はけが悪いという特徴を有しています。

 これが濡れれば、たちまち、びしょびしょになって解離し、反対に乾燥すればかちんかちんになって硬くなります。

 これでは、「水持ちがよくて、水はけがよい」団粒構造を有する土になりません。

 ここで、前回の記事で示した地面から約20㎝下の土壌を思い出してみましょう。

 その成分の大半は粘土であり、しかも、その粘土が腐敗臭を漂わせていました。

 この腐敗臭は、ドブ溝と同一で、いわゆる腐敗に伴ってメタンガスを発している臭気でした。

 このことから、この地層の土では、酸素が不足したために腐乱していることが明らかになりました。

 このとき、土中の水分は、嫌気性の腐敗菌を蔓延らせるのに貢献していたのです。

 これでは、植物が育たないのは当たり前です。

 せっかく、野菜の苗を植えて根が成長してきたら、それを待ち構えていた嫌気性微生物がたちどころに食べてしまうのですから、育ちようがないのです。

 その貧弱そのものの根の様子を示しましょう。

 先日の視察の際に、この土壌を、どうやって改良していくのかが問題になりました。

 ある農家の方が、籾殻(もみがら)をたくさん入れています、といっていました。

 しかし、それは、土の改良にとって、土中の有機物を増やす方法には、よりよい方法ですが、それが、この粘土土壌を急速に改善していくことには少し無理があるように思いました。

 なぜなら、いくら籾殻を入れても。この粘土質の腐敗、すなわち酸素欠乏には役立たないからです。

 土中の酸素欠乏を改善するのが先ではないか

 そう思っているうちに、おもしろいことに気づきました。

 「やはり、そうだったか?気が付けば何でもないことなのだが・・・」

 何事もそうですが、その明察には、その道筋が明確になり、そこに鋭い、そして小さくない直観が働き、その論理に少しの矛盾もないことが求められます。

 すなわち、明察には、それにふさわしい明確な必要条件が存在しているのです。

 さて、この必要条件に関する道筋は、どのように明らかになっていったのでしょうか?

 そのことを考察する前に、現地では、どのような改善策が検討されていたのでしょうか。

 それらを箇条書きで示しましょう。

 ①噴霧水の供給回数を減らすか、ほとんど水を与えない。

 こうすると、苗が成長し始めたそうです。

 それはそうでしょう。下層の酸欠状態になった水が上まで上がって来なくなったので、それが成長に寄与したのでしょう。

 ②地下水位を下げるために、下流に深い溝を掘って、そこに地下水を流出させた。

 これはそれなりの効果はあったようですが、それが、苗の成長に直接結びつくことはありませんでした。

 ③燻炭籾殻を入れたが、それが急速に分解して団粒構造を形成するには、かなりの時間が必要だった。

 すでに、述べてきたように、この籾殻が酸素欠如状態の土壌を急速に改善することはできませんでした。

 もうひとつ、重要なことは、かれらに「科学の目」が養われていないことでした。

 困難に遭遇してきたときに、その解決に最も役立つのが「科学の目」であることを心から理解していないという弱点を有していたのではないかと思います。

 それは無理もないことであり、そのような科学の目を養う教育を受けていなかったのでしょう。

 それゆえに、「科学の目」でメスを入れることが必要であるように思われます。

 次回は、その明察とともに、そこを貫く科学のメスを入れる過程に分け入ることにしましょう(つづく)。

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貧弱な根