3つ目の「キセキ」
 
 おかげさまで、前回の2つ目の「キセキ」の記事は、多くのみなさんが読んでくださったようで、未だに「人気記事」の第1位を維持し続けています。

 この「キセキ」物語は、ペロから始まり、N介護老人保健施設のヒトの強皮症において起こったことですが、その第三は、再び犬の話に戻ります。

 長い歴史のなかで、犬とヒトは、互いに求め合う、無くてはならない絆を結ぶようになりました。

 犬は、小さな弱い動物ですので、毎日の食料をどうどう確保するかに苦労をしていました。

 弱肉強食の世界では、その確保によって生き抜くことが大変だったのです。

 これはヒトも同じで、互いに弱い者同士だったのです。

 ヒトの場合は、犬にはない知恵がありました。

 その知恵で、弱い者同士が集まって強者と闘うことができたのです。

 やがて、自分で武器を造るようにようになり、犬とともに狩りに出るようになりました。

 この時、ヒトの30倍といわれている犬の嗅覚が役立ち、遠くにいた獲物の臭いを察知できたのです。

 そして、犬のもう一つの特技が速く走ることであり、獲物を追い込むことができたのです。

 こうして、ヒトと犬の共同作戦がみごとに発展していったのでした。

 犬にとって、ヒトから食べ物を与えてもらうことは、生きていくうえで何よりも必要なことでした。

 それを続けてもらうために、犬の方はヒトに尽くす、役に立つことを生きるための意志として強く持つようになっていったのです。

 犬のヒトへの献身こそが、犬心だったのです。

 こうして、ヒトと犬とでの共存共栄の新たな絆が結ばれ、洗練されていったのです。

 その後、何百、何千という世代交代が互いになされてきましたが、そのヒトと犬が互いに求め合う心を産み出すDNAは延々と受け継がれていき、より進化を続けてきたのでした。

 周知のように、犬は声で発する言語を持っていません。

 しかし、犬の知能は低くなく、ヒトの言語をよく理解できます。

 それは訓練すればするほど、より理解能力を発揮するようになります。

 この犬の理解力は、どこから生まれてきたのでしょうか?

 おそらく、他の動物にはない、特別の能力が進化してきたからではないかと思われます。

 そうであればヒトの進化は、どのようになされてきたのでしょうか?

 そのことを示唆する一枚の写真を提供しましょう(図1)。

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 左は、じっとヒトの顔を見つめている赤ちゃん。そして右は光マイクロバブル浴を行っている子犬の眼差しです。

 瞳を凝らしてじっと見つめていることに共通の特徴があります。

 ヒトの場合は、母親の目を見て、そして子犬の場合は、身体を洗浄するトリマーや飼い主の目を見ている典型的な姿といえます。
 
 
なぜ、このように凝視するのでしょうか?

 障害児保育で有名な斉藤公子先生が母親たちに強調していたのは、自分の赤ちゃんの目ををじっと真正面から見つめることでした。

 愛情のこもった眼差しで見つめると、赤ちゃんの方も同じ眼差しで見返してくるようになります。

 よくいわれているように、ヒトの赤ちゃんは、それこそ何万年前からの進化の過程を短時間で辿りながら成長するといわれています。

 この生まれてすぐの赤ちゃんの段階では、まだ犬の知能の方が発達を遂げているのかもしれません。

 やがて、その赤ちゃんは両親の愛情に育まれて成長を遂げて犬の知能を追い越していきます。

 その過程において、このじっと相手を見つめる行為は、よく似ていて、それらの知能の水準が近いことを示唆しています。

 母親の愛情表現によって赤ちゃんの目をじっと見つめることによって、その赤ん坊も見つめ返すことができるようになり、その結果として、お互いに愛情表現としてのホルモンであるオキシトシンが分泌されるのです。

 このじっと犬が相手を見つめる行為によって、愛情表現としてのオキシトシンが分泌されることが、最近になって日本人の研究者によって証明されています。

 斉藤公子先生が、未熟児の発達障害を改善する有効な方法として、母親が、自分の赤ちゃんを真正面からじっと愛情深く見ることは、じつは母親と赤ちゃんの体内にオキシトシンを産み出させる方法だったのです。

 この愛情凝視は、何も赤ちゃんに限られたことではなく、大人にとっても互いに顔を見つめ合うことは、その愛情行為として非常に重要なことなのです。

 
           道端で拾われてきた犬

 これまで、愛情表現としての真正面凝視についてヒトと犬における共通性があることを述べてきましたが、これから紹介する3つ目の「キセキ」が、この愛情ホルモンに関係していたのです。

 その主人公のワンちゃんは、誰かに捨てられいました。

 その犬を新たな飼い主さんが道端で拾われたことで、この物語が始まります。

 その時の主人公のワンちゃんは、それはそれは、ひどい恰好をしていました。

 それを見て、私は思わず絶句しました。

 こんなにひどい状態のワンちゃんを見たことがなかったからでした。

 そして、このキセキの物語には、もう一人の男性Jさんが登場してきます。

 なぜなら、その新しい飼い主さんが、その拾ったイヌをJさんのところ連れて行って相談をしたこが、その物語の始まりだったのです。

 次回は、そのJさんの紹介とともに、第三の「キセキの物語」に分け入ることにしましょう(つづく)。

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散歩の途中で、生け垣の若葉