短期決戦の戦略志向

 名著といわれる『失敗の本質』(戸部良一ほか)を読んでいると、これが、今の政治の本質を理解するうえで非常に役立ちます。

 まだすべての読破に至っていませんが、今日までの感想は、「大東亜戦争を指導した軍部の考え方や組織論が、今もなお執拗に蔓延って生きているのではないか」という思いを深めたことにありました。

 その「失敗の本質」の第1は、「戦争目的を明確に語れなかった」、すなわち「戦争目的が無かった」ことにありました。

 これは、コロナの非常事態宣言下において東京オリンピックの開催目的を、堂々と語れなかったこととよく類似しています。

 また、その第2は、「奇襲を得意とする短期決戦に固執した」ことでした。

 しかも兵站活動もなく、食料は敵地調達という無謀な作戦がいくつもあったことに特徴的に現れていました。

 これに対し、米軍は、レーダーを用いて日本軍の動きを正確に把握し、「必ず勝てる」という作戦のみを十分な兵站を確保しながら、戦争遂行を行っていったのでした。

 この違いは明らかであり、最初から「どう戦うか」の組織論において、日本軍は、曖昧(あいまい)かつ貧弱だったのです。

 そして、無謀な、「負けるべくして負けた戦争」によって、多数の若人やアジアの人々の命が奪われ、不幸に苛(さいな)まれていったのです。

 さて、本日は、この『失敗の本質』における第3の特徴である「非科学的楽観主義」について分け入ることにしましょう。

 まず、「科学的な楽観主義」と「非科学的楽観主義」の比較から始めましょう。

 前者と後者では、その戦争遂行において、それこそ「天と地」ほどの違いがあります。

 前者は、科学の可能性を信じ、それに基づいて戦争を行おうとする姿勢のことです。

 そして、科学的な目で勝つか負けるかを推理し、勝つ戦争のみを遂行する、反対に負ける戦争であれば、その勝つ条件が整うまで戦争はしないという考え方です。

   当然のことながら、その戦争の今後を見通せるのですから、基本的には「勝てるという楽観」を持つことが可能になります。

 ここには、無謀な奇襲や兵站無しで、食料は敵地調達などの作戦が、少しも入り込む余地はありません。

 これに対して、後者の方は、どうだったのでしょうか?

 そのことを象徴的に表している軍指導部の「妄言」をまず示しましょう。

 いずれも、本著のなかで紹介されているものです。

 ①八原高級参謀(沖縄作戦の策定においてあくまでも合理性を主張した)
 「日本軍は、精神力や駆け引き的運用の効果を過度に重視し、科学的検討に欠けるところ大である」と嘆じた。
 この主張は受け入れられず、排斥されました。

 ②牟田口中将(第15軍がビルマでインパール作戦を策定したとき)
 彼の「必勝の信念」に対して、補佐する幕僚も上級司令官(ビルマ方面軍)も組織内の融和と調和を優先させ、軍事的合理性を追求しなかった。
 (第15軍司令部兵団長会同、薄井補給参謀が補給に責任を持てないと発言した時)
 「なあに、心配はいらん。敵にしたら銃口を空に向けて三発打つと、敵は降伏する約束 になっている」

 ③日本軍のエリート
 「戦機まさに熟せり」、「決死任務を遂行し、聖旨に添うべし」、「天佑神助」、「神明の籠」、「能否を超越し国運を賭して断行すべし」などの空文虚字の作文は書けても、それを具体化する方法にまで詰めることが、誰もできなかった。

 ④スリム英第14軍司令官(インパールで日本軍と戦った)
 「日本軍の欠陥は、作戦計画が、かりに誤っていた場合に、これをただちに立て直す心 構えがまったくなかったことである」

 ⑤山本七平(『一下級将校が見た帝国陸軍』)
 「日本軍の最大の特徴は、『言葉を奪ったことである』」

 ⑥戸部良一他(『失敗の本質』)
 「日本軍の戦略策定に対応できなかったのは、組織のなかに論理的な議論の制度と風土 がなかったことに大きな原因がある」 

 この程度の引用でよいでしょう。

 日本軍の失敗の本質は、組織のなかで議論ができず、それゆえに作戦を具体化することができなかったことにあり、それが、窮地に陥ってもなお、作戦の適切な変更をできなくしてしまっていたのです。

 それゆえに、「神」を持ち出し、「決死の作戦を遂行せよ」という、非科学的楽観論に基づいて、ありもしない妄言を吐き続けることしかなかったのです。

 インパール作戦では、戦って死んだ兵士はわずかであり、その大半は、病気と餓死だったのです。

 パンケーキさんの「楽観論」

 まさか、好物のパンケーキを食べている時にはないでしょうが、この方は、自分の気に入らない報告があると、その書類をよく投げつけていたそうです。

 これは、ここでいう「楽観論」とは無関係の話です。

 この『失敗の本質』を読んで、上記の日本軍の「言葉のなさ」、「議論のなさ」、「具体的な詰めの甘さ」、「都合が悪くなっても適切な変更ができない頑なさ」、これらは、約80年前のことではなく、今でもよく起こっている現象ではないかと思いました。

 もともと嫌いな記者会見で、「ワクチンによってコロナの撲滅に明るい兆しが見えてきた」、「コロナカクテルで患者を救えます」、「ワクチンのおかげで、60歳以上の感染者数が少なくなったのではないでしょうか」など、といってのけたのは、いったい誰でしょうか?

 そして、これらの「楽観的発言」に科学性を感じないのは、なぜでしょうか?

 このパンケーキさんは、もともとは政治家ですので、コロナの専門家ではありません。

 しかし、これだけ大変な状況になり、病院や家庭が次々に崩壊している最中ですので、そのことをよく理解していないと、記者会見を行うことはできません。

 その前には、相当の事前勉強をなさっているのだと思います。

 また、そのコロナの厳しい現実をパンケーキさんに説明するのは、科学者や医系技官さんらです。

 かれらは、その科学的内容を、パンケーキさんが理解できるように、わかりやすく説明していかねばなりません。

 その際、肝心かなめは、パンケーキさんが、それを十分に理解し、国民の前で堂々と発言できるようになることです。

 前もって、きちんと、その内容を議論し、質疑応答も繰り返して、具体的な修正を何度も繰り返すことによって、初めて、その内容をマスターできるのです。

 とくに非科学的な楽観論を述べる時は要注意であり、それが上滑りにならないように、さらには、「にわか勉強」といわれないように、堂々と発言できるようにしていく必要があります。

 また予期せぬ質問があっても、それを鮮やかに切り返して回答できるようにしておかねばなりません。

 この修羅場を何度も繰り返すことによって、トランプ前大統領などのように、1時間以上の記者会見を堂々と行うことができるようになるのです。

 大東亜戦争の大敗北を貴重な教訓とするのであれば、政府の政策を考える、語る時には、
政府のなかにおいて、そして記者との間において論理的な議論ができるような制度づくり、風土づくりが必要であり、それがないままだと。、再び、今もなお、その国民的な理解が得られず、結局は、敗北を重ねていくことになるのではないでしょうか。 

 次回も、この「失敗の本質」論により深く分け入ることにしましょう(つづく)。 
                 
hotogisu55
ホトトギス