異常な2021年の夏
大規模な新型コロナウイルス感染爆発が起こるなかで、オリンピックが強行されています。
始まる前には、オリンピック選手村を中心にしてバブルで完全に包み込むから安全だ、安心しろと強弁してきた政府や組織委員会の説明は完全に破綻し、その実態が次々に報告されています。
すでにオリンピック関係者における新型コロナウイルス感染者は先月末の時点で約260名、選手の感染者も相当数出現しています。
東京都においては、オリンピックの開催と共に約1週間で、1359人から4055人にまで急増しました。
この増加は異常であり、通常の指数関数的増加の傾向をはるかに超えて相乗的な指数関数的増加していることに重要な特徴があります。
これは、通常は、個々には指数関数的増加を示すものが2つ以上重ならないと起こらない誰も経験したことがない現象であり、もしかしたら、新型コロナウイルス感染においても、日本初のことになるかもしれません。
それでは、この2つの現象とはいったい何でしょうか?
その第1は、デルタ株という感染力のある新型コロナウイルスに対する科学的対抗策がほとんどなされず、このような感染拡大には至らないと高を括っていた政府とその筋の専門家の浅薄な見識です(A現象)。
その第2は、関係者を含めると約6万人もの外国人がオリンピックのために東京にやってきたことで、その安全装置としてのバブルがいとも簡単に崩壊してしまったことです(B現象)。
このAとB現象が相乗的に感染拡大を生起させ、それが、日本列島に急速に伝搬し始めた、これが今の状況といえるのではないでしょうか。
そして、さらに心配されることは、このAとBが一体化しC現象となって世界中に拡散していく恐れが濃厚になっていることです。
このC現象は、その国のD現象と相乗して、さらにE現象として感染爆発する可能性を有しています。
数日前のアメリカのCDCの発表によれば、後数回変異を繰り返すと、これまでのワクチンの効果を飛び越えてしまう可能性があるという、恐ろしい報道も出始めています。
どうやら、私たちは、これまで経験したことがないパンデミックのなかで、大規模なパニックを生み出す(パニンデミック)危険性と同居しながら、ここからの脱出を図っていかざるえないようです。
さて、本題のガイダンスに戻りましょう。
その第1は、「九州高気圧環境医学会における特別講演を終えて」の連載について解説しておきましょう。
7月3日に行われた、この講演は、1)医学関係者の前で講演を行うのは初めてであった、2)2012年以来の医療、介護ほかの共同研究の成果をまとめるのによい機会を得た、3)最近の医学・福祉学・歯学の共同研究の最新成果を中間的にまとめたことなどに特徴がありました。
また、この講演は、学会主催者や共同研究者において少なくない評価を得ることができましたので、その内容を、みなさまにも紹介することが重要ではないかと思って、本ブログでの紹介を始めました。
すでに3回の執筆を終えていますが、おそらく、この調子で書き進めると10回を超える連載になるような気がしています。
ここでの光マイクロバブル技術の洗練によって、医療、健康問題に関する切込みが、いかに可能なのかを考察していくことになるでしょう。
なお、現在は、光マイクロバブル技術における「4つのキセキ」のうちの1つを紹介しはじめていますが、それらを今の時点で改めて考え直し、より深く、そのキセキの奥底に分け入ることができるとよいなと思っています。
光マイクロバブルの正体(4400回記念)
第2は、第4400回記念のシリーズにおいて、現時点における光マイクロバブルに関するより進んだ理解を提示しようと思ったことです。
このきっかけは、上述の講演の際に、光マイクロバブルと光マイクロバブル水の定義を改めて更新させたことにありました。
そして、その更新に関しては、当日の講演では、より詳しく解説できなかったこともあって、その理論的裏付けを行うことを兼ねて、本シリーズを開始することにしました。
科学というものは、常に進歩をしていますので、その見直しと更新が不可欠であり、それによってより本物性が付与されていきます。
この不断の行為によって、科学の普遍性が向上し、長いっ歴史のなかにおいても生き続けることができるのです。
そのことは、ノーベル賞を受賞した発明や科学とて例外ではなく、その歴史を生き抜く本物性が問われているのです。
平易にいえば、10年、20年で廃れる科学もあり、逆に、100年、200年、さらには1000年でも、あるいは、それ以上の年月において愛され、通用していく科学や技術もありうるのです。
その意味で、光マイクロバブルと光マイクロバブル水の科学と技術が、どこまで生きて、ますます人類と地球にとって不可欠なものであるかが、より広く、そしてより深く問われ始めているのだと思います。
このアプローチのためには、それにふさわしい理論が必要であり、しかもそれは実践に基づいた生きた理論が必要になります。
そんなことを考えながら、コツコツと粘りながら、この連載を続けていくことができると幸いですね。
この連載は、まだ始まったばかりですので、10回、20回と重ねていくべき主題ではないかと思っていますので、みなさまも腰を据えての拝読をよろしくお願いします(つづく)。
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